FUJI ROCK FESTIVAL ’21を振り返る

コロナ禍のもとでのフジロック

2年ぶりのフジロックはコロナ禍のもとで不安の中で開催された。自分も不安と緊張がある一方で、音楽に救われたと感じる場面があり、単純に楽しかったといえないものだった。フジロックは今回、1日あたり1万人前後の参加者がいて、1万通りの体験がある。会場も広いので、その人がみたフジロックはフジロックの全部ではない。自分は自分のフジロックしか語ることができない。なので自分がどのように過ごしたか、から始めたい。

どのように過ごしたか

木曜日の午後、東京を新幹線で出発。車内がガラガラだった。半分も乗ってなかった感じだ。越後湯沢駅に着いたときにも人の少なさに驚く。シャトルバスにはすんなり乗れて苗場に到着する。今回、自分が泊まった民宿はわりとゲートに近いところだったので、助かった。雨が降ったときに避難することもできた。

民宿にチェックインして、プレオープンしている会場に入ると、「苗場音頭」が流れているけど、誰も踊ってないし、静かな雰囲気だった。オアシスエリアにいくと、祭りの前の高揚感もなく、みな座って食事をしていた。かろうじていつもフジロックに来ている大道芸の人が頑張っている感じ。20時頃に花火が上がり、静かにそれを観る。そしてあっという間に店仕舞いが始まって、もう一食何か口に入れようと思ったけど、それもかなわなかった。

事前にアナウンスされていたとはいえ、酒がない、大声をだせない、人とは適度な距離を保つフジロックがこういうものなのかと感じながら民宿に戻っていった。

翌日から始まった本番も、印象は変わらない。自分がみた限り、マナーが守られていて、酒がないので飲んで暴れる人も、その場で寝込む人もいなかった。ごみがほとんど落ちてなくて、苗場初年度に戻ったかのようなクリーンな会場だったし、トイレもきれいで数も多く、ハンドソープも消毒液も完備されていた。

自分はよほど空いているとき以外はPAブースより前で演奏を観ることはしなかったし、なるべく混雑しているところに近寄らないことを心がけた。人数が少なかったので、飲食店は、もともと人気であるのと、朝食をだせない民宿やホテルから食券がでていた苗場食堂を除けば待つとこが少なく、正直、ここ数年にないほど快適だった。

月曜日に帰るときも、シャトルバスに並ぶことはなく、むしろお客さんが集まらないので出発を待つくらいだった。乗車率約50%でバスは苗場をでた。越後湯沢駅も月曜の午前から昼にかけて祭りの後の興奮が残っているのが通常のフジロックだったけど、今年は閑散としていた。指定席もすぐに取れてガラガラの新幹線で東京に戻ってきた。他の日はどれくらい混雑していたかわからないけど、月曜に関しては全く混雑はなかった。

参加者たちのマナーは

お酒がなかったというのは大きくて、感染リスクを下げる効果があったとともに、全体的なマナーを保てた効果もあったし、音楽を聴くことに集中できたということもあった。もちろん、飯食いながら「ここでビールがあったらなぁ」と思ったりもしたけど、これはこれでよかったのではないかと思う。

1万人前後の人(3日間の延べ人数は35,449人だけど、3日券、2日券の人がいるから、1日あたりの人数で考えた方がよいでしょう)が端から端まで約4kmある会場で(新宿を中心にすると、目白、中野、笹塚、東北沢、渋谷、六本木、永田町、飯田橋が4km圏内)、どこかにマナーの悪い人もいだだろうけど、自分がみる限り不快に感じる人はいなかった。ヘリノックスのような椅子を畳まないまま歩く人もいなかったし、歩行喫煙する人もいなかった。先にも書いたけど、苗場初年度のフジロックや朝霧JAMの1年目みたいに人も少なく快適だし、多くの人がフジロックを成功させようという気持ちを共有していたのだと思う。

フェスごはんとアーティスト

フェスごはんも、今回自分が食べたものはどれも美味かった。これはなぜかなと考えたら、あまり混雑していないので余裕をもってじっくり作られたからかな? とかお酒が入ってないのでじっくり味わえたからかな? とか2年ぶりの出店でお店も気合が入っていたからかな? とかある。


フェスごはんと同じく、観たライヴにハズレがなかった。去年からあまりライヴの機会がなく、アーティストの人たちからはフジロックにかける気持ちの大きさが伝わってきた。もちろん、フジロックにでてよいのか迷いの中で、その気持ちを吐露する人もいたけど、それでもステージを観ている人たちを前にすると気合が入るのか、すばらしい演奏が繰り広げられた。

その中でもベストはGEZAN。ハードコアパンク・ヒップホップ・ゴスペルが圧倒的な力で押し寄せてきて「とんでもないものを観た!」感がすごくあった。フジロックのライヴの中で最も奇怪なものだったFINALBY( )もすごかった。山塚アイのノイズと映像、照明が織りなす世界は、ステージとは何か、音楽とは何かを根本から問うようなものだった。また、メンバー6人中4人が不在で急遽サポートメンバーを2人加えたMETAFIVEは LEO今井と砂原良徳の気合が伝わり、フジロック史上最高の音質のよさもあって緊急事態を乗り切った。

くるりの異様なテンションもすごかったし、ムジカ・ピッコリーノは楽しく藤原さくらは可愛かった。KEMURIやTHE BAWDIESは躍動していたし、秦基博は温かい歌を届けてくれた。MISIAの声は圧倒的だったし、復活の電気グルーヴは最高に楽しいステージをみせてくれた。

フジロックの多様性

一部の出演者が何をいったとか、何を歌ったのかということで批判が起きたりしたけど、その2、3のアーティストの言動だけで、100組以上のアーティストがでるフジロック全体にレッテルを貼らないでほしい。政府批判したアーティストがでる一方で、オリンピックに協力したアーティストもいたわけで、出演者のすべてが同じ思想を持つわけでもなく、もちろん同じ音楽性でもない。フジロックの多様性を舐めるなといいたい。さらにどのアーティストを観るのかは参加者の自由に委ねられる。観る/観ないは自由だし、同時に複数のステージが進行しているので全てを観ることはできない。ひとりのアーティストがフジロックを代表することはできない。多くの人にとって「ミスターフジロック」は忌野清志郎なんだろうけど、清志郎がフジロックの全てを体現しているわけでもない。出演頻度からいえば、自分の中でのミスターフジロックはROVOの勝井祐二だし、それぞれがそれぞれの「ミスターフジロック」がいるのだ。それがチバユウスケだったり、石野卓球だったりする。

今年は国内アーティストのみのラインナップだったし、確かに邦楽ロックを聴く人たちが多く来ていたのでロック・イン・ジャパンみたいだという人もいたけど、フジロックらしい多様性はあった。そして、集客のためにそれまでフジロックに縁のないアーティストを出演させることもなかった。電気グルーヴはもちろんのこと、RADWIMPSやKing Gnuなどのヘッドライナークラスのアーティストは過去にフジロックに出演経験あるように、ちゃんと出演までのストーリーがあったのだ。また、FINALBY( ) をはじめ、ROVOやDachamboなど野外レイヴには似合うけど、メジャーな邦ロックフェスでみかけることはないようなアーティストたちや上原ひろみなどのジャズ畑の人はフジロックだからこそ観ることができた。

参加者は誇ってよい

フジロックが終わって2週間が経ち、自分や自分の周りの人、友人知人は幸いにして健康な日々を送っている。新潟県や湯沢町のサイトをみても湯沢町でコロナウィルスのクラスターが発生した記録はない。東京もフジロックが終了して以降、新規感染者数は急速に増えたという記録はない(前週と比べるとむしろ減っている)。これをもって大丈夫だったと断言することは難しいけど、フジロックが感染拡大への影響は少なかったのではないか。それは多くの参加者がちゃんとマナーを守って行動していたからだろう。そこは今後、きちんと検証されることを待ちたい。

フジロックの感染リスクは野球やサッカーなどのスポーツ観戦、演劇や映画鑑賞並みと思ってよいのではないか。今度おこなわれるスーパーソニックも自分はいかないけど頑張ってほしい。マナーを守ってきちんとフェスを運営していけば、コロナウィルスの感染は拡がらないという実績を積み上げていくしかない。

そして、今回のフジロックに参加者した人は、広い会場のどこかにいたマナーの悪い人以外は誇ってよい。その気持ちをもって来年につなげていきましょう。開催を支持してくれた地元の人たち、開催にこぎつけてくれた関係者の人たち、すばらしい演奏してくれたアーティストたち、マナーを守ってくれた参加者のみなさん全てに感謝を。

Text by Nobuyuki Ikeda
Photo by  LIM Press