そしてすべては肯定された
会場である東京ドームは非常に賑わっていた。お客さんは親に連れられた小さい子どもから、古くからのファンだろうかお爺さんお婆さんまで年齢も幅広い。最近クイーンを知ったのであろう若い人も来ていた。
クイーン+アダム・ランバートを観るのは2016年の日本武道館以来7年半ぶりだった。そのときと比べて、すべてがスケールアップしていた。アダム・ランバート(Vo)の歌も、光るクイーンの紋章に飾られたステージセットも、さまざまな演出も、以前観たときよりも豪華になり印象が強くなった。
オープニングから映画『メトロポリス』にでてくるアンドロイド、マリアがスクリーンにでてきた。『メトロポリス』は1927年のSF映画であるが、1984年にジョルジオ・モロダーによって再編集されたときにフレディ・マーキュリーもサウンドトラックに参加している。そうしたフレディと縁のある演出に唸った。そして“Machines (or‘Back To Humans’)”に導かれて“Radio Ga Ga”で湧き上がるドーム。続いて“Hammer to Fall”なんてライヴエイドと同じ曲順で、序盤からお馴染みの名曲がドカドカと投下されていく。ステージ花道の先に作られた小さいステージに現れるゴテゴテでギラギラなバイクに跨ってアダムが歌う“Bicycle Race”のように、「そこまでやるのか!」と思わせたのだけど、今まで「そこまでやるのか!」と思わせてきたバンドこそクイーンなわけで、ブライアン・メイ(Gt/Vo)もロジャー・テイラー(Dr/Per/Vo)もクイーンに忠実なのだ。
前回の武道館からこの日までの間に映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットがあり、コロナ禍直前の来日公演があり、コロナ禍でコンサートができない時期があった。状況はクイーンの価値をより高めていくようになった。それはクイーンが元々持っている曲の素晴らしさとか、メンバーの力量とかもあるだろうけど、ブライアンとロジャーがクイーンを守っていくという意思の表れだったし、アダムが新たにクイーンの魅力を引きだしたからである。
多くの人が指摘しているように、アダム・ランバートはフレディの物真似をすることなく、あくまでも自分の歌い方でクイーンの曲を歌っている。フレディは外見も含めて物真似しやすく、だから世界中にクイーンのトリビュートバンドがいるわけなんだけど、その真似しやすさには一切関わらない決意が伝わってくる。それゆえにフレディを深く敬っていることが伝わるので、今のクイーンにはアダム・ランバートがふさわしいのだ。少しハスキーで伸びやかで声量のある声でドームを掌握していく。
そこが「クイーン」だけでなく「クイーン+アダム・ランバート」であることの矜持なんだろう。才能あふれるシンガーをブライアンとロジャーはしっかりとサポートする体制を作り(サポートミュージシャンにしっかりサポートされながら)、自分たちもしっかり健在をアピールする時間を作りながら、2人はクイーンを現代に伝える役割を自覚してその任を果たしていた。
ロジャーは“I’m in Love With My Car”を歌い、ドラムソロを披露し、アダムと“Under Pressure”を歌う。ブライアンはアコースティックギターで“Love of My Life”を歌い……というより会場全体に大合唱を促し、“Teo Torriatte(Let Us Cling Together)”で日本のファンたちのお約束に応える。さらにギターソロではドヴォルザークの「新世界より」を引用したりする。実際はニュージーランドやオーストラリアでも演奏されたこともある“I Was Born to Love You”は、木村拓哉主演のTVドラマ『プライド』の主題歌や数々のCMや北海道日本ハムファイターズの稲葉選手の登場曲でお馴染みになったので、お客さんたちの反応をみるとやはり日本では特別な曲あることを実感する。
フレディの姿は“Love of My Life”や“Bohemian Rhapsody”、アンコール時の「エーオー!」の掛け合いでスクリーンで観ることができた。その「エーオー!」から始まったアンコールは圧巻だった。“We Will Rock You”で大手拍子大合唱大会になって、オープニングから再び演奏された“Radio Ga Ga”でピークを維持して、“We Are the Champions”では東京ドームが一体となり、クイーンの歴史も、フレディの生涯も、アダム・ランバートの頑張りも、長年クイーンを支えてきた日本のファンたちも、最近クイーンを好きになった人たちも、我々はみんなチャンピオンなんだと肯定され、東京ドームを埋め尽くした人たちがこれほどまでにクイーンを愛しているのだということに改めて気づいて幸せが溢れていたのだった。