今、ここで向き合う音楽の時間
コリングスの弦をはじく一音一音、漏れる吐息とうなり声…ジュリアン・ラージその人と向き合い続けた時間だった。
ジュリアン・ラージのライヴは約1年ぶりだ。昨年10月30日、大阪はUMEDA CLUB QUATTROでの公演。最新作『Speak To Me』のコアメンバーでもあるホルヘ・ローダー(ベース)とデイヴ・キング(ドラムス)を率いてのトリオ体制で息をのむような掛け合いを繰り広げた。現代ジャズギタリストの最高峰であるジュリアンがクアトロでやるわけで、当然のごとくソールドアウトしてパンパンのフロア。目前で繰り広げられた心と魂が繋がっているような圧巻のプレイに圧倒されたものだ。ジュリアンもすごいが、リズム隊の二人がこれまたすごい。ビートの土台を固めつつ、ジュリアンのギターがどこまでも飛翔を促すようにリードしていた。洗練と土臭さが同居する“Northern Shuffle”がグルーヴがとにかく最高で、初見にして一発で魅了されてしまった。また今年も来日するというじゃないか。しかも1939年製のマーティン000-18を使用してレコーディングしたソロアルバム『World’s Fair』の10周年を記念したソロ・アコースティック・ツアーときた。昨年は通称 ナチョキャスターと呼ばれる1960年代製のフェンダー・テレキャスター一本だったと記憶しているが、今回はアコギの独奏会だ。行くしかなかろうというもの。
ジュリアン・ラージは米カリフォルニア州サンタローザ生まれ。5歳からギターを弾きはじめ、8歳でかのカルロス・サンタナと共演。12歳の時にはデヴィッド・グリスマンの『Dawg Duos』の“Old Souls”で初レコーディングを経験し、15歳でパット・メセニーやウォルフガング・ムースピールといった名ギタリストを輩出してきたゲイリー・バートンのグループに抜擢され、『Generations』での非凡な演奏で世界に知られることになる。問答無用の神童だ。初来日は2005年で17歳の時。ゲイリー・バートン・グループのメンバーとして「東京ジャズ」に出演した。2009年にはソロ・デビュー作『Sounding Point』をリリース。初作でジャズの伝統は継承しつつもマンドリンやバンジョー、チェロといった楽器を取り入れている。本アルバムは2010年のグラミー賞最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバムにノミネートされた。カントリーやブルーグラス、オールドタイムなどいわゆるアメリカーナと呼ばれるルーツ音楽の音色がジュリアンのシグネチャーサウンドになる。巨匠たちに愛され、得た影響をしっかりとモノにしてきた。順風満帆に見えるがそんなことはない。2013年に局所性ジストニアを発症し一時的にギターが弾けなくなってしまう。同病を克服した経験のあるクラシックやフラメンコのギタリストたちからアドバイスを受けながら、ギターの弾き方をいちから覚えなおすことで回復したそうだ。この病を機に、より脱力しリラックスしたプレイを追及していくことになる。苦難を超えた先の人々を魅了する演奏であり音色なのだ。回復後(あるいは回復途上にあったかもしれない)の2015年にリリースされたのが全編アコースティックギターによる『World’s Fair』。本アルバムのコンサートを当時できなかったと語られたとおり、今回の記念ツアーがジュリアンとファン双方にとっても念願のまたとない機会ということなのだ。
本大阪公演の会場はサンケイホールブリーゼ。西梅田エリアにあるブリーゼタワーの7階にあるホールだ。1952年に開場し、大阪の劇場文化の基礎を創ってきたサンケイホールが老朽化し再開発に伴い、そのDNAを受け継ぎ2008年7月にオープン。スケジュールは音楽だけではなく、お笑い、落語、演劇、トークショーなどあらゆるエンターテインメントの公演で埋まっている。入場するとバーカウンターもあってお酒も楽しめる(開演後は閉まってしまうので購入はお早めに)。しかし身近なところにこんな魅力的なハコがあったとは。
ホールに入場した。ステージにはペルシャ絨毯がしかれ、会議室にあるような簡素な椅子にアコギがひとつ、ギターの音を拾うためのマイクとマイクスタンド、椅子下にはMC用のマイクとセットリストであろう紙も。以上、これだけなのだが、スポットライトに照らされ神々しく映る。昨年11月にイギリスとアイルランド各地で行われたソロ公演のライヴアルバム『Solo Live』。今回のツアー会場での限定販売と聞いていたので即購入した。全編アコギセットで本公演を振り返るのに絶好の盤。しかも“Northern Shuffle”のアコースティックギターバージョンが聴けるというたまらない内容だった。

開演時刻の19時ちょうどに客電が落ちジュリアンが登場した。お辞儀から愛機のコリングス、シグネチャーモデル OM-1 JLを手にし音を奏ではじめるまでの静かで落ち着いていてスムーズなこと。茶道の「和敬清寂(わけいせいじゃく)」の精神を感じる。演者とオーディエンスが互いを尊重し、一期一会の出会いを大切にしている雰囲気だ。『World’s Fair』のオープニング曲“40’s”から開演。テーマの暖かい質感のフレーズが印象的だが、随所に急な音程の跳躍がある。フラットピッキングの強弱でダイナミクスの変化を巧みにつけていて一筋縄ではいかぬ曲だ。続く曲も『World’s Fair』から。チューニングからスムーズに“Gardens”がスタート。調弦の鳴りすら場を彩る演出かのように美しい。冒頭の流麗なタッチにクラッシックの要素が感じられる。ジュリアンの影響源として知られるスペインのクラッシックギターの伝説、アンドレス・セゴビアのインスピレーションが本セットでもっとも感じられた瞬間だった。リズムとソロを一緒に奏でているような水のように流れる流麗なフレーズが飛び出した時には客もジュリアンもうなり声を上げるしかない。冒頭の優美さが今やオルタナティヴロックのような激しさでドライヴしている。アコギ1本で。思わず椅子から腰を浮かせて前のめりに弾き倒し、ジュリアンのパフォーマンスに熱が入ってきた。
「ありがとう!ようこそ!」
先週からはじまった日本ツアーがかつて実現しなかった『World’s Fair』の10周年を記念したライヴであること、その楽曲たちが10年を経て成長の一途にあることを伝える。ジュリアンの暖かく優しい声に場が落ち着いていく。そして披露されたのは“Day and Age”。フォーキーなテーマへ至る前段にいなたいフレーズが爪弾かれた。ブルーズの源流、ミシシッピ川の壮大な風景が浮かんでくるかのよう。アメリカの原風景を語らせたら随一のギターだ。最後はフェードアウトするようにか細い音を響かせ茶目っ気たっぷりに締めくくった。
親密な時間は続く。“Etude”と“Auditorium”をワンセットで。“Auditorium”の前にはジョニー・マンデルの“Emily”も少しだけ披露した。クリスマスシーズンにぴったりの神聖な響きをもってほんわかとさせてくれる。ギタリストがギター1本でデュエットするような曲として作ったという“Auditorium”では、低音域と高音域の異なるメロディが行き交い、心地よいタメを創り出す。流れるように自在に指を動かしながらもどうフレットを押さえるのがいいか模索しながら自由に遊んでいる。それでいてテーマからは逸脱しない安心のメロディで聴き手に安心感を残してくれるのだ。
残念なことが起きた。フロアから物騒な怒号が。静謐で親密な雰囲気が台無しだ。オーディエンス同士のトラブルと思われるが、物事には適切なやり方、言い方というものがあるだろう。心底嫌な気持ちにさせられたが、ジュリアンはいたって平然と美しい音を奏でていた。何とも楽しそうに。外で何が起きていようと、内なる声と対話し、その場で沸きあがるフィーリングで弦を弾いている。
『World’s Fair』はこの世界を「地理的に(geographically)」にトリビュートしているというMCから“Japan”へ。世界各地のその場所特有の地形や気候、資源を称えているということだろうか。アメリカーナ、ひいてはアメリカ文化を言及するとき、ジュリアンはアフリカやヨーロッパ、南米やカナダなど「別のどこか」からやってきたものが融合したものであることを強調する。その国に根ざしたものに敬意を払っているということだろう。都節と呼べばいいのか、琴で耳にするような音階が使われていることに気づかされる。

照明が変わった。ステージを照らす範囲が広がり、バックの幕がもやがかかったように光っていて、森のようにも見える。幻想的だ。リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートによる名ジャズ・スタンダードの“My Funny Valentine”。軽快なストロークで増幅していくグルーヴがとてつもなく心地いい。飛び出すは流麗なタッチかつ激しく躍動する圧巻のソロ。ループするフレーズから狂気の混沌音楽を醸成し、力強いテーマのストロークに帰着する終盤の流れにオーディエンスから本セット一番の大歓声が送られた。真骨頂の技量全開。
続く“Solid Air”はジョン・マーティンに、“Omission”はリッチー・ヘヴンスに。ジュリアンの二人のヒーローに捧げ、音響のマーク・グッデル(Mark Goodell)を紹介し拍手を求めた。『Speak To Me』でミキシングエンジニアをしていたのが彼。先ほどまで漂っていた緊張した空気がグッと暖かくなっていく。ラストと告げてはじまった“Peru”。大切なパートナーが育った地に捧げた曲だという。バンジョーやマンドリンのごとく繰り出される軽快な速弾きに思わず腰が動き出しそうだ。ダンサブルな雰囲気に満ちている。プレイ中、時折漏れる「Ahhh」といううなり声。ギターを奏でることを純粋に楽しんでいることの表れだ。ジュリアンのプレイには「見ろこの演奏!すごい技術だろ!」といった誇示や誇張が一切ない。ただひたすらにギターの可能性を探求し、没入して楽しんでいる。だからこそ我々がそのパフォーマンスに高揚し、感動させられるのだ。アンコールの最終曲は“Rayland”。スポットライトに照らされる中、折り重なる暖かい音色でオーディエンスとの親密な時間を存分に創り出し、ステージの幕引きを行った。
母国のアメリカのみならず、世界の歴史というストーリーを踏まえて表現されるジュリアンの独奏は、暖かいフィーリングと人間性がダイレクトに伝わってくる感動体験だった。ジュリアンが仲間たちと一緒に音楽を創り上げていくライヴも恋しくなってしまうのだから気が早い。新譜『Scenes From Above』のリリースも目前(2026年1月23日に発売予定)で、こちらは4人編成、カルテットの模様。先行リリース曲“Talking Drum”を聴いたが、ジョン・メデスキのハモンドの鳴りが最高なのだ。近い将来の再来日を心待ちにしている。
