【フジロック’23総括 Vol.1】今年、フジロックで観たあのアーティストが将来の……

今年のフジロックも楽しかった、で済ませたいけど、今年感じたことは2つあるので書いておきたい。

【将来の大物候補目白押し】

ひとつ目は今年のフジロックから将来フェスのヘッドライナーを務めるような大物になりそうなアーティストが何組かでていたことである。今までもジャック・ホワイトが在籍していたザ・ホワイト・ストライプスが2002年にレッドマーキーにでて、その後数々のフェスのヘッドライナーを務めたなど、駆け出しのバンドがレッドマーキーやホワイトステージにでることはあった。日本人アーティストならルーキー・ア・ゴーゴーもあるし。

今年は自分が観た、FEVER333(フィーヴァー333)、Sudan Archives(スーダン・アーカイブス)、Yves Tumor(イヴ・トゥモア)、Dermot Kennedy(ダーモット・ケネディ)、CAROLINE POLACHEK(キャロライン・ポラチェック)、YARD ACT(ヤード・アクト)、BLACK MIDI(ブラック・ミディ)は、それぞれジャンルは違えど、ヘッドライナークラスになる力があると感じた(本国ではすでになっているものある)。あのときフジロックで観た◯◯が今はこんな大きなステージで……みたいな感慨に耽ることができそう。

FEVER333はハードコアなパンクを基にヒップホップなどのミクスチャー的なサウンドを奏でる。政治的なスタンスもあってレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンを受け継ぐことができそう。ヴォーカル以外のメンバーが変わったばかりだけど、迫力は変わらず、すさまじいステージをみせてくれた。

Sudan Archivesはヴァイオリンを弾きながら歌うヒップホップ/R&Bアーティストで、ヒップホップにヴァイオリンという足し算的な発想だけでも斬新だったけど、彼女のステージでの見せ方も素晴らしかった。登場してからピチカート奏法をしながら歌い、弓を取りだすときに「シャキーン!」という音がしてから弓で弾きまくるという姿が格好いい。

Yves Tumorは故プリンスを受け継ぐ意思があるように思えた。アフリカン・アメリカンの側からロックを大胆に取り入れていくのは、まさにプリンスだし、脱ぎたがるのもプリンスだ。このライヴでもワンピースかと思った衣装が実はパンツにエプロンで、結局エプロンも取れてしまいほとんど裸になってしまった。先鋭的なサウンドだけどポップさをきっちり保っているところなど次代のプリンスにふさわしい。

Dermot Kennedyはアイルランド出身のシンガーソングライターで、ソウルフルなダミ声と美しいメロディが同居する。当然、ヴァン・モリソンからU2のボノなどたくさんのアイルランド出身ミュージシャンの歴史が積み重なっているのを感じるし、堂々としたステージにはすでに本国ではスターの地位を固めつつあることが感じられた。

CAROLINE POLACHEKは音楽もヴィジュアルも美しい世界を作った。透き通った声を際立たせるバックトラックでキャロラインが舞い歌う。さらにワイズ・ブラッドの飛び入りが輪をかけて奇跡的に美しい時間だった。

YARD ACTはUKロックのさまざまな流れがこのバンドに注ぎ込まれている。足腰の強いグルーヴでUKらしい香りも残し、次のUKを代表できる可能性を感じられた。

BLACK MIDIはプログレッシブロックの新鋭であり、実際に新しいプログレを作ることを意識している。今までのプログレと違うのは、より身体性に近いことではないか。ホワイトステージ前にいたお客さんの中でモッシュが発生したり、クラウドサーフをおこなった人もいた。「踊れる」ことがキーであり、それが80年代ディリプリン期のキング・クリムゾンが目指していたことでもあったけど、その時期のキング・クリムゾンの苦闘をあっさりと実現してしまった感じがある。巨大なフェスでのヘッドライナーは難しいにしても、ジャンルを限定したフェスなら看板になれそうである。

もちろん、これらのアーティストが今後順調に活動して、今以上に人気を得ることができれば、フェスのヘッドライナーに辿りつけるのである。過去にも「いける!」「売れそう!」と思ったバンドが志半ばで、解散したり、活動を停止したり、それほどだったりということがある。まずはコンスタントに活動できることが前提となるのだ。


Photo by 前田俊太郎

【みせるか/聴かせるか】

今年のフジロックで感じたことのもうひとつは、フェスにおける生演奏とは、ということだ。まずいっておかないといけないのは、生で演奏しているから偉い、というわけではない。例えばフジロックとは関係ないけどPerfumeのように録音された音源を流し、それに合わせて踊るのでもエンターテイメントとして完成度が高ければOKだと思っている。今は、事前に作られた音源を流して、そこに楽器の生演奏や歌を乗っけたり、本当に弾いているのかと思うときもある。ある意味、演奏という制約を離れてパフォーマンスに専念できるメリットがあるだろうし、映像との同期もやりやすくなるはず。ただ、そういうアーティストを観た後で、例えばGoGo PenguinとかNeal Francisを観ると「やっぱりその場で演奏する迫力とか、スリリングさとか素晴らしい」と感じるのである。FOO FIGHTERSが急遽、アラニス・モリセットを招き入れシネイド・オコナーの追悼をおこなったのも、録音された音源に縛られなかったということでもある。生演奏を得意とするバンドの特性を発揮できたのだ。

ということから「あらかじめ録音された音源を流すことで、パフォーマンスの自由度があがる(かもしれない)し、それを生かしてステージが進化する」ことと、「やっぱり生演奏ってすげえな」という相反する2つのことを改めて感じたのだった。もちろん、ドミコのようにその場で弾いたと思われるギターのフレーズをループさせて、そこに生演奏を重ねるということで、どちらのよさも取り入れる人もいるし(その技法自体はけっこう前からあるけど)、ライヴの進化ということに関して考えさせられたフジロックでもあった。

【久しぶりの盛況】

今年は声出しなどが4年前と同じになり、久しぶりの通常運転に近づいたフジロックだった。とはいえ、なるべく密集したところにはいかないとか、トイレの後はよく手を洗うを心がけた。トイレの後は普段からこんなに手を洗うのだろうかと思うくらい多くの人が手を洗うために列を作っていた。やっぱり、コロナ禍の前後で変わったものは確実にある。

たくさんの人たちが来ていたので、土曜日はオレンジカフェの店に並んでいたら50分かかってようやく飯が買えたこともあり、キャッシュレス決済の端末が上手くいかなかったうえに、なし崩し的に現金OKになった店もあった。今年はほとんど雨もなく気温も高かったこともあるので、予測して仕入れるのは難しいとは思うけど、水や食べ物が売り切れてしまったところもあった。今年はライヴに関しては素晴らしいものが多かったけど、飲食などのインフラには課題を残した。

最後に、自分は十分に楽しんだフジロックだったけど、考えてみたら、ドラゴンドラに乗ってない、復活したパレス・オブ・ワンダーにもいってない、ピラミッド・ガーデンにもいってない、ジプシー・アヴァロンにもいってない、ルーキーも観ていない、今年設置された「森のピアノ」にもいかなかった、どん吉パークのシークレット(?)ライヴもいってない……とフジロックの全部を楽しむことはできていない。そんな自分も、今年はホワイトステージの合間にところ天国の青空寄席・筍亭でトミー富岡のお下劣で爆笑の替え歌と、鈴々舎馬るこの落語を観た。毎年フジロックに通っているのに、何でところ天国の落語を観ていなかったのだろうか。フジロックというのは、まだまだ奥が深くて無限の楽しみがあることを思い知らされたのであった。

Text by Nobuyuki Ikeda
Photo by 古川喜隆(TOP)、前田俊太郎