追悼 : チバユウスケ

2023年11月26日に、この世を去ったチバユウスケ。そして2024年1月19日には、東京のZepp DiverCityにてチバユウスケへの献花の会 『 Thanks ! 』が行われ、きっと多くの人が彼への想いを携えて集うことでしょう。

熱心に追い続けたファンの枠を超えて、あらゆる層のミュージック・ラヴァーの心に大きなものを遺してくれたチバユウスケ。LIM PRESSでもライター陣による哀悼のテキストを公開します。彼と過ごした日々のかたちも人によって様々ですが、ぜひあなたの中に生き続けるチバユウスケを思い返してみてください。

 

アメリカツアーの思い出

1999年、自分はそれまで勤めていた会社を辞めてアメリカ、フランス、イギリス、再びアメリカを周るというコースで旅にでた。この旅で最初に降りた街だったサンフランシスコと次の街だったデンバーの目的はアメリカツアーにでていたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのライヴをみるためだった。

その前の年、1998年のフジロックで衝撃を受けて、洋楽ロックばかり聴いていた自分が邦楽ロックにものめり込むようになったのはミッシェルのおかげだった。

ミッシェルがサンフランシスコで演奏したのはBottom of the Hillというライヴハウスだった。外国で知らない街のライヴハウスを探すのは至難の業で、今ならGoogleマップで探すことができただろうけど、当時はバンドの公式サイトだったか、アメリカでのレコードレーベルの公式サイトに、ライヴがおこなわれる日時と都市とライヴハウスの名前だけが載っていたのを手がかりにしなければならなかった。

泊まったホテルの電話帳で「LIVE HOUSE」と探してもみつからない。ドラマ『ビバリーヒルズ青春白書』でお酒を飲んで演奏も楽しめる場所を「深夜クラブ」と呼んでいるのを思いだして、「NIGHT CLUB」で探すとその名前がみつかった。その住所をメモってホテルのフロントにいき地図に印をつけてもらって、まずは前日に下見した。

そして、翌日にミッシェルが登場した。お客さんの中には追っかけなのか、現地在住なのか、日本人もそれなりにいた。アメリカで、そして間近で観るミッシェルの格好よさは最高だった。サンフランシスコで聴く“CISCO”を体験できたのは、このライヴハウスにいる人たちだけなのだという優越感を味わった。終わってギターを片付けるチバユウスケに「よかったです!」と握手を求めて、「ありがとう」と返してくれたけど、気難しい人、近寄りがたい人というイメージを勝手に抱いていたので、こんな素になって応えてくれたのが嬉しかった。

その後のデンバーでも素晴らしかったし、何度も日本でミッシェルのライヴを観たけど(ペットボトル事件も観ていた)、もちろん客席から遠くステージにいる人で、幕張メッセの解散ライヴは本当に遠くにいる人になってしまった。その後のTHE BIRTHDAYに関しては真面目な聴き手ではなかった(それでも何度か観た)けど、1998年のフジロックから2003年の解散まで、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは自分の中で大きなものを占めていたし、活動している当時は世界で一番格好いいバンドであり続けていたのだ。(イケダ)

こんなに僕の中にいたんだなって、今になって思う

関係があるようなないような、とりとめのないことばかり浮かんでくる。

例えば学生時代所属していた軽音サークルで、(なぜだかわからないが)ミッシェルのコピーバンドをする伝統があって、先輩や同級生、後輩たちがこぞって演奏してたこと。僕はてんで下手だったからその機会はなかったけど、ギター持ったらみんな憧れちゃうんだよな。アベフトシに、そしてチバユウスケに。みんな全然会わなくなっちゃったけど、元気にしてるといいなとか、そんなことを思う。

それから大阪のレコードショップに通うようになって、店主のDJにかなり衝撃を受けた。ガレージやポストパンク、エレクトロミュージックなどが折り混ざるプレイの中で、いつもここぞというタイミングで流れるミッシェルの楽曲。いくつの夜を共にしたんだろうか。ミッシェルを聴き返してて思ったんだけど、店主のスクラッチはアベのカッティングみたいで、佇まいもチバみたいにクールなのよ。やっぱり影響を受けてるのかな。訃報が発表された日はチバの関連作品のレコードを流しながら彼を偲ぶ夜になったみたいで、そこには行けなかったけど今度会ったらまた話を聞いてみようかな。

あとはそのレコードショップでよく遊ぶ友人が、家に泊めた時シャワーを浴びながら“リボルバー・ジャンキーズ”を口ずさんでいたことも覚えてるし、久々に連絡をとった幼馴染と「(同様にフロントマンの吉井和哉が休養していた)THE YELLOW MONKEYの次のライブは絶対に行かなきゃな」と話したりもした。僕は結果的に最後の出演となったフジロックのTHE BIRTHDAYのライブ(2021年)を観なかったことが、今になって心にきている。多分また観る機会はあるだろうと、当たり前のように思っていた。「観られる時に観るべき」というよく聞く話が、これほど実感を伴って感じられたのははじめてかもしれない。

僕よりもチバに強い思い入れがあって、チバとの思い出がたくさんある人は間違いなくいくらでもいる。だから、自分でもこんなに重く感じていることに驚いている。「チバみたいな歳の重ね方をしたいね」と話した友人も似たようなことを話していた。強烈な思い入れや思い出があるわけじゃなくても、僕にとって、みんなにとって、チバは想像以上に大きな存在だったんだなって今になって思う。

僕の人生の傍にはチバに憧れるかっこいい仲間がいつもたくさんいて、そんな姿を通して僕もチバに惹かれていたのだろう。でも誰もチバみたいにはなれやしない。「チバはずっとかっこいいな」と笑い合いながら、不器用なりに自分の生き様で示そうとする、そんなもどかしくも輝かしい時間が終わってしまったような喪失感。このやりきれない気持ちに名前をつけるなら、そういうことになるのかもしない。

こんなことは何度経験しても慣れやしない。下手に言葉にするとそれで終わってしまうような、でも自分の中で折り合いをつけないと他に何もできないような。感傷的にもなりたくないけど、どうにもならなかったりもする。多分耐えがたい別れはこの先いくらでもあるんだろう。今はただそのかっこいい生き様に恥じないように、僕も生きていかなきゃなって思う。ありがとうチバ。安らかに。(阿部)

今を生き切った男の生き様

2023年は本当に多くの偉大なアーティストたちがこの世を去った。彼らには会ったことはない。が、彼らが世界に向かって表現し遺してくれた作品は、多くの人たちの人生がひっくり返されるほどの大きな影響を与える。これまでも、そしてこれからも。

チバユウスケ。年末に届いたこの男の逝去の知らせには打ちひしがれた。私もチバが在籍した伝説のバンド、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの影響をもろに受けた世代。マキシシングル『ゲット・アップ・ルーシー』の2曲目“スピーカー”。ラジカセからこの曲が鳴った瞬間のケツを思いっきり蹴り上げられたような衝撃は忘れられない。どこまでも前のめりに刻み込まれるアベフトシのギターにがなり立てまくるチバの声。タイトなリズム隊二人がどこまでも増幅するグルーヴ。その瞬間に生み出されたエネルギー満タンで突っ走るロックンロールに虜になった。

パブロックやガレージロックにサイコビリー、ザ・ボーイズといったマニアックな初期パンク、ルースターズやモッズなどの邦ロックを知り、ロックンロールの奥深き罪深き沼にズブズブと飲み込まれていったのも、影響源にオープンだったミッシェルが故だ。そして、そのどのバンドよりも1000倍カッコイイという奇跡のようなバンドだった。チバもミッシェルのロックンロールを際立たせる一部に徹しているかのようで、歌詞においてもいかにサウンドの中でかっこよく響くか、そんな言葉選びをしていたように思う。“ブラック・タンブリン”、ジェニー”、“ベガス・ヒップ・グライダー”に“暴かれた世界”…今聴いても問答無用に高揚する曲ばかりだ。

今も脳裏に焼き付いているライヴの記憶がある。実際には観ていない一幕のことだ。2012年のフジロック。オレンジコートでジャー・ウォブルとキース・レヴィンの『Metal Box』セットを観た後、グリーンステージへ戻る途中のボードウォークを歩いていると聞こえてきたチバの声。当時は知らなかったが、それはTHE BIRTHDAYの“STORM”だった。森の中で響き渡るロックマナーどんぴしゃなギターリフとチバが「into the sky into the storm into the groove into your heart」と紡いでいく言葉に胸を撃ち抜かれた。このライヴを機にチバの言葉を追いはじめてみると、いかに「愛」というテーマが通奏低音になっているかに気づかされる。大袈裟でも壮大でもないチバらしい、チバなりのロマンチックな愛だ。多くを語らず、聞き手の自由な想像力に委ねようとするあり方から、コロナ禍の時には風評被害に遭いコロナビールが売れていなかったと知り、そのお店にあったすべてを空にしたというエピソードまで、これらすべてが愛でしかない。

享年55歳。短いが毎瞬毎瞬を生きた、いや生き切った人生だったことだろう。きっと闘病生活中も、最期のその瞬間まで。自分の音を聴いてほしい、ステージを観にきてほしいとストレートに公言していた男だ。一番の追悼は、チバが遺してくれた多くの作品をこれからも聴き継いでいくことだろう。それぞれの傍らでチバの音楽が鳴り、世界を力づけ勇気づけていくのだ。たくさんの愛をありがとう。(三浦)

Text by  LIM Press
Photo by Keiko Hirakawa