『キス・ザ・フューチャー』 U2がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後におこなった伝説的なライヴのドキュメンタリー映画

公開されている映画館は少ないけどぜひ観るべき映画 

U2がボスニア紛争終結後の1997年にサラエヴォでおこなったライヴについてのドキュメンタリー映画。1992年から1996年にかけてボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエヴォはセルビア人勢力によって包囲されていた。街を歩くと狙撃され、砲撃で建物が破壊される危険の中、市民は日常生活を送る。最近になって多額の金を払ってサファリ感覚で市民を狙撃していたという富裕層の問題が取り沙汰されるようになっているけど、民族浄化を狙った最悪の戦争犯罪がおこなわれていた。

そんな状況下でも人々は地下のディスコに集まり音楽を楽しんでいた。サラエヴォの人たちの証言や撮影された映像で当時の様子を振り返る。

支援に入ったアメリカ人ビル・カーターはそうしたサラエヴォの状況を広く知ってもらうべくU2のボノとコンタクトを取ることを思いつく。U2は社会問題を取り上げているのでその発信力に期待するのだ。紆余曲折ありどうにかボノとコンタクトが取れてインタビューにも応じる。そして、当時おこなわれていたZOO-TVツアーで衛星中継でサラエヴォからつなぎ、さまざまな市民を登場させて現状を訴えた。

そうしたことは欧米の政府を動かしNATOが介入して停戦に漕ぎつけた。今やボケ老人のバイデン(当時は上院議員)が議会でNATO介入を熱く訴えるシーンもある。そしてPopMartツアーの一環としてU2がサラエヴォでライヴをおこなう。前座にはイスラム教の合唱団や地元のパンクバンドなどが登場し、いよいよU2が現れるときの人々の熱狂がすごい。U2のライヴでようやくボスニア・ヘルツェゴビナの紛争が終結したのだと語られる。

ボノはライヴの途中で声がでないトラブルに見舞われたけどスタジアムを埋めた人たちが合唱して応え、声が戻りラストに演奏された“One”、そして続けて歌われたライチャス・ブラザーズのカヴァー“Unchained Melody”が震えるくらい感動的で、ZOO-TVツアーそしてPopMartツアーを東京ドームで観たときを思い出して涙がでてきた。なぜ当時ZOO-TVツアーであれだけ感動できたのかがわかる。すさまじい情報の洪水の中で必死に伝えたいものがあったのだ。できればサラエヴォでおこなわれたライヴの完全版を観たい(画質が悪いものがYouTubeに上がっているけど)。

この映画を通じて感じることは、発信力が大事であることだ。U2の発信力もそうだけど、ボノの心を動かしたビル・カーターや悲惨な状況でも音楽を止めなかったサラエヴォの人たちの発信力もあった。それは、今ではとかく批判の的となるミス・コンテストもサラエヴォでは抵抗の象徴となり、それがパッセンジャーズ(U2とブライアン・イーノとのプロジェクト)の“Miss Sarajevo”という曲につながっていくようにカルチャーは人々の心を救い、状況を伝える役割がある。「好きなものが同じ」や「世界の人たちに好かれているものがある」というカルチャーがあることで、(あまりいい言葉ではないけど)安全保障につながることもある。だから自分たちの好きな音楽や映画や小説や漫画やアニメやダンスやファッションやスポーツ競技を大切にしなければならない。

それから約30年前のことを今になって映画にする意義である。割と冒頭で「アメリカ大統領が米国軍を私物化したと仮定しよう。ニューヨーク市を包囲し国民を恐怖に陥れる」というセリフがあり、これは当時のサラエヴォのことをアメリカ人に対して説明するものであったけど「え、これほとんど現実じゃん」と恐ろしくなった。それまではイスラム教徒とキリスト教徒が共存していたところをフェイクニュースで民族主義を煽り分断することや一方的な虐殺など現在にも起きていることが、このときすでに現れていることを描くことによって今、観る意義があるものになっている(終盤でそういう言葉もある)。このときはミロシェビッチがNATO軍の空爆にビビってすぐ停戦になったけど、現在の抑圧する勢力ははるかに強い。解決はより困難を極める。しかし、こうしたことを積み上げていくしかない。ラストはZOO-TVツアーのときのステージのように世界各地の映像が映しだされ(その中にはプーチンもいればトランプもいる)、現実を突きつけてくる。

Text by Nobuyuki Ikeda
Photo by  LIM Press