テキサス州オースティン、SXSWが伝えてくれるもの

音楽のない生活なんて... あり得ない - パート2

(パート1はこちら)

翌日、目を覚ますと、日本の友人からのメッセージが届いている。といっても、本人ではなく癌だと伝えられていた、その友人の奥さんからだ。

「もし、会いたいんだったら、できるだけ早く来てください」

どこかで日本を離れる前に会いにいった方がいいのではないかと思いつつ、死を前にした友人と直面することを避けていたことを深く後悔するも、すでにどうしようもない。「帰国したら、いの一番に駆けつける」と返したのだが、その数時間後に「息を引き取った」ことを伝えられた。

そんな極私的な話は今回のSXSW体験と関係ないと言われれば、そうかもしれない。が、筆者がライターとして活動を始めた頃、彼が編集者として関わってくれたのが自著『ロンドン・ラジカル・ウォーク』であり、翻訳書でのデビュー作となった『音楽は世界を変える』だった。そういった私的な作品の他にも、クロス・メディアとしてレコードと本を合体させた傑作アルバム『ハード・ボイルド』や『ニューヨーク・シティ・ストーリー』を送り出したのみならず、無数のヒット作を世に送り出した屈指の出版プロデューサーが彼だった。結局、この日はそのショックでほとんど動きが取れなくなってしまうのだ。

が、おそらく、彼なら言っただろう、「なにやってんだよ、テキサスくんだりまでやって来て。面白いことはいっぱいあるぜ」と、そんな声が聞こえてくるのだ。気を取りなして、スケジュールをチェックすると、SXSWの野外ステージでライ・クーダーとの一連の作品から、ダグ・サームのテキサス・トルネードスなどで活躍した巨人アコーディオン奏者、フラコ・ヒメネスの名が目に入るのだ。公式パンフには「Dreamers w/Special Guests」としか記されてはいないのに、テックス・メックスの伝説と遭遇できたのは、ひょっとすると彼の導きなのかもしれない。とはいっても、この時すでに演奏が始まっていたはずなんだが、Uberで車を手配して、会場にすっ飛んでいくことになる。

Photo by Koichi Hanafusa

やはりテックス・メックス好きだというドライヴァーとフラコのことを話題にしながら、会場に向かい、入り口近くで車を降りると、すでにライヴは始まっていた。大急ぎでフォト・ピットに向かうのだが、セキュリティ・ガードからは「これが3曲目で、撮影できるのはこれだけだよ」と告げられる。が、この日、誰もが期待していたであろう、フラコの姿はステージにはいない。その旨をセキュリティに告げると「もう1曲大丈夫だ」とのこと。嬉しいことに、それこそがフラコが登場する曲なのだ。

初めて彼が演奏する様を拝むことができたのは2010年のSXSW。1999年に亡くなったダグ・サームの息子、ショーンが、フラコ・ヒメネスやオーギー・メイヤーズを迎えて、テキサス・トルネードスを再結成させた時だった。1939年生まれとあるから、あの時点でもすでに71歳。もうすぐ80歳になろうとしている彼の老いは否定しようがない。ステージに向かって歩くときも、付き添いが必要で、見るからに老けたのがわかる。が、ひとたびアコーディオンを奏で始めると、驚異的な演奏を見せてくれるのだ。タイプは全く違うだろうが、その姿に、かつてザ・スカタライツで演奏していた巨星、サックス奏者のローランド・アルフォンソの晩年が重なっていた。立っているのさえやっとなのに、ソロを始めるととんでもないフレーズがほとばしる。ミュージシャンが輝くように『生きる』のは演奏をしている時なのだ。おそらく、これから先、彼の生きて演奏する姿を見ることはないだろうと思いつつ、まるで後光が差すような姿を目の当たりにできた幸せをかみしめていた。

そのバックでも演奏をしていたシザール・ロサス(日本ではシーザーと呼ばれていたかも)が核となるロス・ロボスが、この『ドリーマーズ』というユニットの後に演奏することになっているのだが、そのセット・チェンジの間に『トランプの時代』を感じていた。この時点ではなにがどうなっているのか、全くわからなかったのだが、「国外追放の恐怖を感じている人たち、ぜひ、私たちに相談してください」と、弁護士を中心とした組織が訴えている。これは後に調べて理解したことなのだが、ここで問題とされていたのは不法移民の子供として成長を続けてきた、ドリーマーズと呼ばれる人々。オバマ時代には彼らへの国外強制退去への延期措置がとられていたのだが、それを撤廃したのがトランプ大統領。調べてみると、テキサスだけでも約12万の若者がこの問題に直面しているという。実に、この日の野外イヴェントはそれがテーマとして浮き上がるように企画されていたのだ。

Photo by Koichi Hanafusa

北米大陸の合衆国州都として、最南に位置するのがオースティン。州の南はメキシコで、だからこそ、テキサスとメキシコがごった煮となったテックス・メックスという言葉や文化、もちろん、音楽が生まれているのは、説明の必要もないだろう。スペイン語系の地名が数多く残ることからも想像できるだろうが、かつてはカリフォルニアもテキサスもメキシコ領だった。メキシコ系アメリカ人も多く、英語に次いで最も理解されているのがスペイン語なのだ。だからこそ、合法不法を含めたメキシコから中南米系の移民労働者が多く、我々が宿泊していたホテルの従業員もほとんどがスペイン語系の人たちだった。そんな彼らが今、どういった事態に直面しているのか、こんなライヴからも容易に察することができる。

が、この後、ステージに立ったロス・ロボスを見れば、彼らの文化がどれほど今の『アメリカ』なのかを理解することができるのだ。言うまでもなく、メキシコ音楽とロックンロールの融合がそのルーツであり、始祖と言ってもいいだろう、リッチー・ヴァレンスの「ラ・バンバ」をカバーして、彼らが一躍大スターとなったのだ。人種の坩堝で育まれてきたのがアメリカの歴史。その成果のひとつが彼らかもしれない。その中核を成しているのは、残念ながら、ネイティヴ・アメリカンではなく、まずはヨーロッパから、そして、世界中からアメリカに渡った移民や奴隷として拉致されてきたアフリカ系の人々の子孫。それこそがアメリカなのだと証明したかのようなライヴだった。バンドにデヴィッド・イダルゴの姿が見えなかったのが気になってはいるんだが、いつも通り、鉄壁のロックンロールがオーディエンスを魅了していた。

比較的早めに終わる野外ステージを後に目指したのはフラミンゴ・カンティーナ。SXSWにやってくると、何度かこのクラブを覗くことになるのだが、ここで繰り広げられる音楽の指向性が自分のそれに重なっているからだろう。レゲエからワールド・ミュージック系がメインで、今年もそそられるアーティストやバンドが目白押しだった。最初にチェックしたのはニューヨークはブルックリンをベースに活動するAlsarah & The Nubatones(アルサラー&ザ・ヌバトーンズ)。スーダン生まれで、イエメンで育ちという中心人物、政治的な圧力や内戦を逃れてアメリカに渡った女性ヴォーカリストでもあるアルサラーが口にしていた言葉が、今のアメリカを象徴しているように思えるのだ。

Photo by Koichi Hanafusa

「ハイブリッド…それがブルックリンだし、私たちの音楽でもある」

様々な人種や文化が複雑に入り交じって生まれているのが彼らの音楽。ナイル周辺のヌビアの音楽をベースにトルコからギリシャに中近東あたりのニュアンスにソウルやファンク、ジャズが複雑に絡まったかのように響く。それがなんの違和感もなく、ただ個性的な音楽として普通に受け入れられているのだ。逆に凡庸なものに対してはどこかで距離を置いているようにさえ思えるのが、保守的とされるテキサスで異端とされるオースティンの人々。彼らを語るときによく囁かれるのが「Keep Austin Weird」というフレーズで、直訳的にいえば、「オースティンを風変わりなままにしておいてね」ってことなんだろう。ひねって言葉を換えれば、「普通で凡庸はお断り」って感じかもしれない。いずれにせよ、そんな気風がそれを支えているんだろうか?

その時、隣の小屋で開かれていたのは日本でもおなじみ、10代でデビューしたザ・ストライプス。初来日した5年前はまだまだあどけない表情を見せていたんだが、すでにひげ面のメンバーもいて、すっかり大人になっていた… とはいうものの、ぱんぱんでステージそばにはたどり着けず、結局、フラミンゴ・カンティーナに戻って目撃したハンガリーのバンド、ボヘミアン・ベチャーズに持って行かれるのだ。路線は日本でも爆発的な人気を獲得したゴーゴル・ボデーロにも匹敵するジプシー・パンク系。

Photo by Koichi Hanafusa

「来てると思ったよ」

と、ここで遭遇したのがジャパン・ナイトを主宰する麻田浩氏。「彼ら、フジロックにいいと思わない?」と、同じことを頭に描いているのが面白かった。

今回のSXSWで最も楽しみだったのは、取材ではなく、日本人アクトのショーケース、恒例のジャパン・ナイトにDJとして参加することだった。いわゆる和モノの魅力を再発見して、ここ数年、フジロック、フジロッカーズ・バーから老人ホームなどで、爆音で楽しんでいるのが懐かしくもヴィヴィッドな歌謡曲の7インチ、シングル・レコードの数々。実際のところ、このきっかけとなったのはイギリスのレーベルから発表されたレトロな和モノ・コンピレーション、「Nippon Girls」だったし、アメリカのメディアが「日本の音楽が密かなブーム」と伝えたりと、欧米でも日本の音楽への関心が高まっているのを確認したかったのだ。

実を言えば、オースティンに行く途中、数日間を過ごしたロサンゼルスで、それを目の当たりにすることになる。この時訪ねたひとりが、2016年にフジロックで復活ライヴを実現した、LAスカ・シーンの顔だったバンド、ジャンプ・ウィズ・ジョーイのメンバーで、ロイヤル・クラウン・レヴューでも活躍していたサックス奏者、ビル・アンガーマン。彼の家に入るなり、コンピュータの前で、「この間、発見してぶっ飛んだんだ」と興奮気味に聴かせてくれたのが、ジャッキー吉川とブルー・コメッツがアメリカのエド・サリヴァン・ショーに出演した時に演奏した「Gagaku」だった。この時の演奏がどれほどぶっ飛んでいるか、チャンスがあれば、ぜひチェックしていただきたいんだが、このライヴ映像が驚異的なのだ。その他、彼のコンピュータには、ネットで落としてきたと思われる日本のレトロなポップスの、無数とも思われるファイルが顔を覗かせている。このところ、彼はこのあたりの音楽にはまりまくっているんだそうな。

そして、オースティンのジャパン・ナイト。セッティングをしていると地元のスタッフが東京から抱えてきたレコード・ボックスを覗き込みながら、「全部7インチなの?すごいね」と、話しかけてくれる。「ライヴ音楽の都」といわれていても、こういったレコードによるDJは一般的ではないんだろうか?と、そんな疑問も脳裏をよぎる。用意されていたのは、本格的なDJ用ではないターン・テーブルとミキサーというので、不安定この上ないのだが、ライヴ開始までの間、そして、セット・チェンジの間に、おそらくは、ほとんどの人たちが聞いたことはないだろう和モノを流し続けていた。

Photo by Koichi Hanafusa

皮切りとなったのは、テレビ・シリーズ「ウルトラQのテーマ」。その他、追悼の意味も込めて、昨年から今年にかけて亡くなった遠藤賢司の「東京ワッショイ」や左とん平の名曲「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」など、多岐にわたるセレクションだ。反応は上々で踊り出す人もいれば、「今の、なにですか?」と尋ねに来る人もいる。が、なによりも驚かされたのはこの日の最期のステージに立って、大好評だった神野美加。全くの予想外だったのだが、彼女がこの日カバーしたのが、その直前のセット・チェンジで使った江利チエミの「カモンナ・マイ・ハウス」や「奴さん」。基本的には演歌歌手だが、着物姿で三味線を手にジャズからポップスまでを独自のテイストでまとめ上げていた彼女のステージングの素晴らしいこと。今の日本を映し出すヴァラエティに富んだアクトの数々が今年もSXSWのジャパン・ナイトを盛り上げてくれたのだが、本番最後に演奏した「ジョニーBグッド」をアンコールで再び演奏した彼女は飛び抜けていたように思う。

翌日は比較的のんびりと過ごしながら、朝っぱらから開店に向けて長蛇の列ができるというBBQ屋、MIcklethwait Craft Meatsに地元の仲間と繰り出していた。過去10年ほども毎年のようにこの街にやって来ながら、これほどまでにうまい店を知らなかったことに愕然としながらテキサスを堪能。そして、目指すのはピーランダーZのライヴだ。パンク・ロックか、はたまたお笑い寸劇軍団? 彼らがなにであれ、SXSWを通じてオースティンで圧倒的な人気者となったがために、結成からずっと住んでいたニューヨークを離れ、この街に拠点を移したバンド、あるいは、パフォーマンス・グループだ。そのあまりにも強烈なオリジナリティ、あるいは、胡散臭さ、アナーキーさ、悪ふざけ具合を持って、「あんなのはバンドじゃない」とか、「音楽ではない」と言いたげな人たちがいっぱいいるのは百も承知だ。が、彼らがなにであろうと、会場を埋め尽くしたオーディエンスをあれほどまでに幸せな表情にすることができるパフォーマーにはお目にかかったことがない。ただのエンターテインメントやロック、あるいはアートといった言葉を超えたなにかが彼らにはあるのだ。しかも、漠然とではあっても、日本的なるものの土壌のなかで育まれてきたコンテンポラリーな文化の一端を彼らはアメリカに伝えているのではないのか?と、そんなことさえ思うことがある。

Photo by Koichi Hanafusa

その中心人物、イエローがポップアートの画家としてペインティングの仕事を続けていて、オースティンの様々な店や壁で彼の作品を見ることができる。中心街からは少し離れているんだが、テキサス大学前のストリートをさらに北上したあたりにあるピザ屋の壁面も彼の作品だ。その隣にあるのが、この街に来たら必ず立ち寄るレコード屋、アントンズ。どこかでこれといった特徴のない、昔ながらのレコード屋さんに見えるのだが、それが魅力なのかもしれない。でも、何年もかけてずっと探していたフィドル奏者、ヴァッサー・クレメンツの名盤「Hillbilly Jazz」の続編「Hillbilly Jazz Rides Again」やトム・ウェイツが初めて映画に出演して歌った時の演奏が録音されているサントラ盤「Paradise Alley」などもここでみつけることができた。今回買ったのはマーク・マーフィーの「Bop For Kerouac」やダン・ヒックスとホットロッズのライヴ「Whare’s The Money?」の中古LPにもう1枚。ここで働くミュージシャン、イヴ・モンシーズがジ・エグザイルというバンドと2015年に発表した作品「You Know She Did」のLPヴァージョンを手に入れている。

「もうCDは全然売れなくなったし、気にもかけられないって感じ? みんなアナログだよ」

と、4~5年前、ここでそんな話をしてくれたのが彼女だったか、他のスタッフだった定かではないが、「やっとヴァイナルで出せたの」と言う彼女が実に嬉しそうだった。すでにフィジカルと言えばアナログであり、CDはすでに無用の長物うというのがよくわかる。噂によると、売れてしまったギャリー・クラークJrと幼なじみで、彼がギターを弾くようになったきっかけが彼女だったんだそうな。それはともかく、彼女のバンドはブルース・ベースのロックで、ちょっとレトロなガレージっぽい雰囲気も併せ持っていて、その魅力が凝縮されたのがこのアルバムだ。そのアルバムの2曲目「Follow The Thread」をここでチェック可能。もし、気に入ったら、ぜひ手にとっていただければと思う。

さて、昨年、ここにやってこなかった理由は… 実を言えば、毎回同じ結論にいたるからだ。それがなにかと言えば、どれほどレポートしたところで、「やってこないと、この魅力はわからない」と、それにつきる。一度、カメラもなにも無しで、サクソンという小屋で、Asleep at the Wheel(アスリープ・アット・ザ・ホイール)を見た時のこと。いわゆるカントリーからウェスタン・スイングを代表するバンドなんだが、これがめちゃくちゃ楽しかった。が、どれほどこのバンドが素晴らしくても、本場の空気のなかで見る彼らに勝るものはない。彼らを日本で見たところで、この空気やぬくもりはなかなか感じられないだろうと思える。特に、オースティン。ライヴ音楽の都で、生で体験する音楽の素晴らしさはこの上ない。まさしく「No Music、No Life」が日常となっているのだ。音楽がない人生なんて考えられない。そんな人たちが試行錯誤しながら、どうやって音楽と共に生きていくかを実証している街であり、それを突き詰めようとしているのがSXSWなんだろう。

アドバイスは… 遊びにおいで。ひょっとして、チケットは高いかもしれない。が、そんなもなくても、街は音楽で溢れている。フリーのライヴやパーティはいくらでもあるし、音楽を愛する人たちで溢れかえっているのがオースティンという街であり、SXSW。バーでビールを傾けながら、見ず知らずの人と音楽談義が始まることもあれば、そうやって金を落とすだけでも地元が潤う。それが音楽に関わる人たちを支えることにもなるように思えるのだ。と、悲しい知らせで始まったというのに、結局は、音楽の素晴らしさとなぜ音楽なのかを実感して終えたのが今回の取材。来年もまたやって来るんだろうなぁ…

なお、以下は今回のDJセットで使ったシングル盤のトラック・リスト。可能なものには試聴可能なリンクを加えているので、楽しんでいただければ幸い。

テキサス州オースティン、SXSWが伝えてくれるもの
音楽のない生活なんて… あり得ない – パート1 / パート2

トラックリスト リンク集

Text by Koichi Hanafusa
Photo by Koichi Hanafusa