さらさ、彼女の“Origin“と“Live bluesy“は繋がっていく
「まあ、さらさは “Golden Child“ だから大丈夫だよ」
『Golden Child』、先日9月4日にリリースされたばかりの2ndアルバムのタイトルでもあるこの言葉は、さらさに何か良くないことが起こった時に、彼女の母がさらさに話していた言葉であり、さらさの26年間の人生と共に在り続けた言葉だ。
この言葉にまつわるエピソードがある。それはさらさが生まれる以前の話で、彼女の母親が日本でオーストラリアの占い師にみてもらったらしく、その時占い師からこう告げられた。
「前世から続く悲しみからあなた(母)を救うために、もう転生するはずのなかった “Golden Child” の女の子が生まれてくる」
そして、その後に生まれてきたのが “さらさ“ だった。
アメリカの心理学者 ブランディ・スミス博士によると、“Golden Child“とは家族(大体は両親)から根拠なしに特別な存在として見なされている子どもを指すそう。
さらさが子どもの頃、なにか良くないことが起きた時によく母から言われていたのが、この“Golden Child“という言葉だった。家族の中でよく使われていたこの言葉に、重々しいものはなく、むしろさらさをイジるような、ほど良くファニーな温度感をもって使われていた。
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「特別な子」、そんな意味が込められた新作『Golden Child』を引っ提げ行われた、さらさ初の東名阪ツアー。そのファイナルとなる東京公演がリキッドルームで行われた。ここリキッドルームは、彼女にとって特別な場所だ。
3年前、デビュー当時の彼女が立てた目標がある。それは、フジロック、グリーンルーム、そしてリキッドルーム(以下リキッド)でライブをやること。
フジロック(2022/2024)とグリーンルーム(2024)への出演は見事に達成し、残るはリキッドだけとなり、それもついに実現こととなった。
そんな彼女を祝福するかのようにチケットはソールドアウト。フロアは開演30分前にも関わらずほぼ満員状態。さらさにとって特別なこの会場で「未来へ向け、また一歩踏み出した、始まりの作品」であるこの新作をもって、彼女は一体どんな光景を創り上げてくれるのか?朝からずっと収まらない自分の中にあった高揚感が、この日のライブへの期待を物語っていた。
ライブの開始を待っている間、場内に流れていたBGMがとても印象的だった。コリー・ウォンの“Golden”、アリシア・キーズの“Golden Child”、スティーヴィー・ワンダーの“Golden Lady”……。そう、全て曲名に“Golden”が入っているという、なんとものニクい選曲(個人的にはミーカの“We Are Golden”も入れて欲しかったが…)。そんな遊び心あふれる選曲に、朝から続いていた高揚感はフッと落ち着き、その後思わず笑みが浮かんでしまった。
ライブもいよいよスタートだ。アンビエントなインストをバックに、琥珀色の照明が徐々に明るさを増していく。そんな温かく落ち着いた雰囲気の中、「さらさららぶりーろんりーばんど」のメンバー、石田玄紀(Key/Sax)、オオツカマナミ(Ba)、松浦千昇(Dr)、磯貝一樹(Gt)が登場し、最後にさらさが登場。オーディエンスは大きな歓声と拍手で迎える。
BGMのフェードアウトと共に始まったのは、新作『Golden Child』の1曲目に収録されている“予感”。自身初めて作ったというラブソングを、ゆったりとしたグルーヴに身を委ねるように歌うさらさ。琥珀色のバックライトを背に、シルエット姿ながらもその中から歌詞も相待って朧げながらも感じるのは、ゆらゆらと踊りながら灯っている恋心。その心地よい“揺らぎ”という渦の中に、自ら身を埋めるように聴き入っていくオーディエンス。
ゆっくりと雰囲気を作って始まったリキッドのライブ。続く“雲が笑う時”は、「傷つけられた記憶より、傷つけてしまった記憶のほうが忘れられないのに、誰かを傷つけてしまった時に聴きたい曲がない」という制作前に書かれたメモをもとに作られた、ミッドテンポのリズミカルなバラード曲。
彼女の音楽に共鳴しているファンなら思わず胸にグッとくるようなこの曲を聴いていると、かつて(自分を含めた)人のことを傷つけてしまった時、自分の中に生まれた「後悔」や「懺悔」などの感情、それを少しずつ「許し」から「救い」へと変わっていった──。
デビューから3年が経ち、25歳を過ぎた彼女の中に、徐々にある強い実感が生まれてきた。それは「時間の不可逆性」について。
過ぎた時間は取り戻すことができない。けれど、人間として生きている以上、どうしても歳は重ねていくものだ。そんな時間の経過を、彼女は“同じ自分自身のままで時間を重ねていくこと“に面白さを感じ、それを楽しめるようになったという。そんな変化から生まれたのが、次に披露された“Roulette”だった。
ステージ後方に聳え立つ4本のポール状のライトが琥珀色の光を放つ中、オオツカの柔らかく弾むベースラインから始まり、ネオソウルとブレイクビーツがミックスされたグルーヴが感じられるこの曲で、まるでそこに漂っている畝りに身を委ねるようにステージをゆっくりと歌いながら歩を進めるさらさ。リズミカルなこのナンバーでオーディエンスは思い思いの踊りを楽しんでいる。
その光景を見ていてふと頭に浮かんだのが、この日会場で販売されていた『Golden Child』のセルフライナーノーツに書かれていた、さらさの「人の複雑な心模様は光です」という言葉だった。人の心にある感情や意思は、各々に訪れる多様な出来事に何かを感じて動き続けているもの。その中には、当然ネガティブもポジティブも両方あって、人はその中へと身を委ねることによって自分の感情を受け入れていける…そんな様(さま)と重なって見えた。
続く音源のアレンジよりさらにその輪郭がなだやかになった“退屈”が終わると、再び新作から本作にとって重要なピースとなっている曲が披露された。
“リズム”、レコーディングスタッフたちから「この曲の完成無くしてアルバムの完成はない」というニュアンスの言葉に背中を押され完成したこの曲が『Golden Child』にとって必要不可欠な曲であることは、アルバムを聴いたリスナーであれば自明だろう。ファンキーなグルーヴにトライバルなリズムが加わったこの曲は、彼女のクリエイティブの新機軸の一端を感じさせつつ、アルバム全体に漂う大人な雰囲気の中にあってこれ以上ないアクセントになっている。
この日のライブでも、“退屈“から“リズム“、そこから続く緩やかでジャジーなミッドテンポのソウルバラード“Viburnum”。これら3曲の流れにあるパキッとしたコントラスト。その重要なファクターとなっているのも“リズム“で、そんな3曲の流れにある変調していくグルーヴは、なんとも言えない刺激をオーディエンスに与えていた。その証拠が“Viburnum”が終わると共に湧き上がった大きな拍手だったように思う。
松浦のドラムビートをバックにこの日初めてのMC。「『Golden Child』ツアー、ようこそお越しくださいました!みんなと過ごせてめちゃめちゃ幸せです」とさらさはファンに語りかける。一転して「(若干笑いながら) 見えてるよ全員。後ろまで見えてるからね。あの、ゲストが手上げないがちなのとかも見えてるからね。頑張って(笑)」とゲストエリアにいるゲストたちをイジったりもするさらさ。
彼女の曲の雰囲気からして落ち着いたイメージのあるさらさだが、一方で明るくラフにファンと接する時の心理的距離の近さとでも言おうか、そこから感じる親近感。そんなギャップもまた彼女の魅力だと思う。
少し緩んだ空気の中、ライブは中盤へと突入していく。
歳を重ねるとともに変わっていく価値観や物事に対する感じ方。しかし、前述でも触れたように、彼女はそんな時の経過による変化をも楽しめるようになったという。そんな気持ちの変化は、既存の曲にどんな影響をもたらし、それを僕らはどう感じるのだろうか?ライブ前に感じていた、そんなぼんやりとしたイメージは、曲を重ねるごとにその輪郭が明確になっていった。
そんなライブ中盤は既存の楽曲を中心に進んでいく。滑らかで柔らかさを感じる磯貝のギターイントロから始まったのは“太陽が昇るまで”。穏やかなメロディの流れの中で囁くように歌うさらさのヴォーカルは、以前より一層落ち着きが増し、曲との一体感がより増している。
続く“温度”そして“ネイルの島”では、“火をつけて”のレコーディングにも参加していた、若干23歳の新世代ジャズトランペッター寺久保伶矢がさらさのライブで初めてそのトランペットの生音を披露。音源のジャジーでメロウな雰囲気はしっかりと残しつつも、彼のスモーキーで掠れた風合いのトランペットは要所要所にかかるエコーも相まって、さらさのヴォーカルのスモーキーさも引き立てていた。
彼女の代表曲のひとつ“グレーゾーン”では、場数を重ねるごとに成熟し、現在のさらさにしっかりアジャスト。リリース当時、曲のなかに僅かにあった角も徐々に削れていき、音源から感じるレイドバック感も抑えられ、“ネイルの島”と同様に綺麗な流線を描くメロディの曲へと深化を遂げているのがその証拠だ。
深化を遂げていたのはさらさのヴォーカルも同様で、曲に身を委ねるよう寄り沿った歌声は、まさに歌詞にもある《飛び越えてく感情 なぞり合ってく感覚 頭でも心でも Dancing in the gray zone》そのもので、それはデビューから3年間での成長を強く感じさせたものだった。
このセクションの冒頭にも書いた「現在のモードは既存曲にどんな変化をもたらすのか?」という疑問の答え、それは「26歳のさらさの奏でる既存曲になった」という極めてシンプルで当たり前なことだった。その要因はもちろん新作『Golden Child』の存在である。
ただし、それは「新作モードに合わせました」というよりも「26歳のさらさが歌ったからこうなりました」のようなナチュラルさの方が強くて、彼女が語っていた「同じ自分のまま、時間の経過を彼女は同じ自分のままで楽しめるようになった」というところと通ずる部分があったような感じがした。
それら現在進行形の曲に深化した既存曲の間に挟まれた新曲たち。これらはリリースされて間もないこともあってか、大きな変化はなかったものの“Golden Child Tourバージョン”として、より深度が上がっていた。
昨年リリースされ、いち早くさらさのニューモードが感じられた“f e e l d o w n”は、より透明感が増して、上質なブルーアイドソウルっぽさも感じさせるスタイリッシュなアレンジへと姿を変え、その心地よいグルーヴにオーディエンスの体を踊らせた。
一方、新曲“遠くまで“では、音源の70年代ジャパニーズ・フォークな雰囲気を踏襲しつつも、磯貝のブルージーなギターソロをはじめとしたライブならではの余白を活かしたアレンジによって、徐々にライブ感のあるブルースへと変容していく。
そんな様(さま)はまるでグラデーションを描くようで、次々と込み上げてくるえも言えぬ高揚感は、ただ心地良いの一言に尽きた。
今回のこのツアーで、絶妙なエッセンスとなっていたのが、東名阪各公演に組み込まれたカバーコーナー。名古屋公演ではBONNIE PINKの“Heaven’s Kitchen”を、大阪ではYEN TOWN BANDの“Swallowtail Butterfly ~あいのうた〜”を披露し、そのことを告げた曲前のMCで、それら曲名を口にする度に「聴きかったよねー」「全部来たら良いんだよ?(笑)」とちょっと意地悪そうに口にするさらさの悪そうな笑みがとてもチャーミングで印象的だった。
そしてここ東京で披露されたのは、彼女が敬愛する90年代を代表するR&Bシンガー、UAの名曲“ミルクティー”。『Golden Child』ツアーライブの世界観をベースにしつつも、原曲の持つポップでソウルなメロディを心地良さそうに、噛み締めるように歌うさらさ。シンプルながらもそこに感じる確かなソウルは、ずっと変わらずそこに在り続けていたもので、まさにエバーグリーン・・・最奥だ。
ライブも終盤へ。薄暗い早朝の風景を想起させるような照明の下で始まったのは“朝”。アンビエンスなゆったりとしたアルペジオから始まったムーディーな雰囲気のあるイントロ、それがゆっくりとフェードアウトしていくと共に入ってくる歌い出しの《ねぇ》。この一言で弾けた心の中の何か。そして《いい感じでいたい》とリフレインされるフック、極限まで抑えられたメロウが生み出すグルーヴ。歌い出しでハネる感じとか、語感を重視した洋楽的な曲の作りはアレンジも含めて、今もなお中毒性高く響き渡る。
“朝”で刷り込まれたフレーズ《いい感じでいたい》、曖昧な言葉だけれど、どこか心地の良いこのフレーズが余韻で残る中、続いて始まった曲は“祝福”だ。
新作の構想の起点となったこの曲で謳われているのは、「悲しみという闇」と「希望という光」の間を揺れ動くような人間の心。曲を聴いて、それから確かに感じる“何か”は得られて、それらはどこか曖昧で、曲自体は絶対的に救われるものではないかもしれない。
けれど、ピンスポットライトを浴びながら歌い上げる彼女の姿を見ていると、気持ちは揺れながらも、心休まる温かな場所に引き寄せられるようだった。
美しいメロディと、感情が果てしなく遠くへ行ってしまいそうなアシッドでサイケデリックなアレンジ。そして、理屈では語れない「救い」を感じる歌詞に散りばめられたフレーズ《取り止めのない言葉で眠って ずっとずっと》《明日は流れ出すように 薔薇色 素晴らしい私》──。
「救い」と感じるこの感覚がこの曲の本質とは言い切れないけれど、確実に言えるのは、曲が終わって心に残った感情「何かわからないけれど、何かが救われるような感じがした」という「幸せ」な感情だったということだ。
曲が終わり、さらさの顔に浮かんだ穏やかな表情を見て、心の中に灯りが生まれたような気がした。その感覚は、この曲がこれからも大切な曲で在り続けてくれる、そんな予感へと変わっていった。
続くMCで、さらさは「歌を始めた頃」から「現在」に至るまでの曲作りの変化について思いを口にした。変化が生まれた要因は、外的要因から、自分ではどうにもならない流れから生まれたものまで、さまざまだ。
人前で歌い始めた頃はライブで演奏することをモチベーションに曲作りをしていたこと──。コロナ禍と自身の環境の変化も重なって気持ちが追いついていなかった頃、「自分のため」という脆弱なモチベーションでの下で曲作りをしていたが、なかなか思うようにいかず悩んでいたこと──。そして、そんな苦しい状況から彼女を救い出したのが「自分の音楽を聴いてくれる人たちがいる」ということを改めて実感できた去年一年のこと──。そこから年が明けて、急に心が楽になり、やっと「いい曲を作りたいな」という純粋な感覚が蘇って「曲を作るのが楽しい」と思えるようになった今の気持ち。
そんな自身の心情の変化を、包み隠さず口にしてくれる真摯で誠実で正直な彼女だから、僕らは彼女に惹かれ、彼女の歌詞や言葉と曲に耳を傾け、その意味を理解したいと思うのだ。そして、そんな関係性が積み重なっていった結果、彼女の周りには大きな大きなコミュニティができていた。このコミュニティには、家族はもちろん、友人、バンドメンバー、チームスタッフ、これまでコラボしてきたさまざまなアーティストたちもいて、そこから“さらさ色のクリエイティブ”は生まれている。
そのコミュニティから新たに生まれたものの中にワンマンライブのステージ装飾がある。今回のそれは、ステージの背景一面に立てかけられた和心を感じさせる、絶妙に風合いの異なる無数の幕だった。その装飾を製作したのが、彼女の高校時代からの想像力あふれる友人たちで、それら繋がりから育まれた価値観は、言わずもがな彼女の音楽に影響を与えているはずだ。
MCが終わって、耳馴染みのあるイントロから始まったのは“Amber”。「陰と陽のバランスを保つ」という石言葉を持つ、世界で唯一の植物性の宝石、琥珀(Amber)。彼女の活動におけるテーマである「Live Bluesy(ブルージーに生きろ)」そのものと言っていいこの曲で、さらさは歌詞の一言一言を大切に穏やかなソウルを持って歌い、バンドメンバーたちは、彼女の中から溢れ出る感情に寄り添うような演奏で楽曲の魅力を引き立てる。そんな演奏は、ビート感やジャジーでモダンR&Bなアレンジは音源に割と近かったものの、今回のライブ全体に漂う流麗な雰囲気を確実に感じたし、心の中にあるネガティブな感情とポジティブな感情が触れ合い混じり合っていく──まさに「陰と陽のバランスを保つ」それをより実感できたパフォーマンスだったような気がする。
大きな拍手の中、続いて演奏されたのが“このまま”だ。過去のライブ演奏より気持ちスロウダウンした曲のアレンジは、この曲が持つアンビエント感と緩やかなグルーヴ感に微々な変化を与えていた。それに身を任せるように体を揺らすオーディエンス。曲が終わりに近づいていく中で、より深みが増していくこの曲の雰囲気もまた「26歳のさらさ」が生み出したものなんだと感じる演奏だった。
本編ラストを締めたのは“船”。曲前のMCでこの曲についてさらさが語っていたこと。それは“船”に込められた思いであり、彼女の「ソウルメイト」への一言では言い表せない感謝の気持ちだった。ここでは、会場でのMCの意味をより深く知ってもらうため、Instagramの投稿を引用したいと思う。
🌕F u l l m o o N🌕
さらさの第二の生みの親ことかたぴ率いる
株式会社yutori.の上場を記念して
「船」という曲を贈りました私の制作のモットー
「Live bluesy」を背中に刻んで
東証アローズの鐘を鳴らしてくれるなんて。笑
大きな物語に巻き込んでくれて有難う19、20歳の時、大学も音楽もやめて
分かってくれる人なんていないけど
何かを作り出したい気持ちに溢れていて
古着を売ったりイベントを主催したり絵を描いたり
のんびりゴリゴリと生きていた私を
面白がって拾ってくれたかたぴ
yutoriでは約2年間、インターンでお世話になりましたかたぴに出会えたことは
私の人生でものすごく大きなことで
初めて渋谷のオフィスで面接をしてもらった時
「初めて自分のことを認めてくれる人に出会えた」と
思春期心に衝撃くらったことを覚えてます
かたぴもテンション高くて変なギャグ連発してたな
あの時「この人とは強い縁があるかも」と思ったのは大正解で、
今ではソウルメイトと呼ぶに相応しいぱいせんですいま私の音楽を支えてくれている
スタッフに出会ったきっかけもかたぴの紹介でした家族以外では、そのスタッフとかたぴのふたりが
「この人がいれば、生きていけるかも」という
根拠のない希望を与えてくれる大きな存在です
(エモーショナルエピソード失礼)(中略)
ソウルメイトだなあと思うよ
かたぴがいたら息ができる🧘ゆとりのみんな本当におめでとう
これからもどうぞよろしくお願いします!
さらにこのMCの中で、彼女はワンマンライブには必ず足を運んでくれる社長が、今回タイミングが合わず来場できなかったことにも触れた。
「『Golden Child』に株式会社yutoriの社歌(“船”)を入れて、今日かたぴが来れないとかも、何かが変わっていくタイミングなんだろうなって、私はそう勝手に思っていて、今日この曲を最後に歌えて、すごく嬉しい気持ちです」。
普通ならば寂しい気持ちが出てきてもおかしくないが、そういった状況もまた何かの必然と捉え、前に進んでいこうと思えることもまた、今のさらさらしい言葉だったように思う。
しばしの静寂のあと、柔らかなギターフレーズから、空気の音が聞こえるほどゆったりとしたペースで歌い始めたイントロのフレーズ──
《優しくなる 触れる触れる
息をしてる 願う願う
激しくなる 進む進む》
一言一言、ゆっくりと、そして大事に歌い始め、弾き語りから始まった“船“。この楽曲から感じる、時に静かな海が包む静寂の中だったり、時に激しい嵐に見舞われている環境であったり、それらの光景はまるで「yutori」という船の航海の道程を表しているように感じた。
曲は終盤に差し掛かるにつれ、徐々に激しさを増していき、最後は極上のシューゲイザーとブルースロックが混じり合ったような美しい轟音となり、ゆっくりと静かにフェードアウトしていった。カオティックでドラマティックなアウトロは、洋楽リスナーとの親和性が高いとされるさらさリスナーの心を鷲掴み、轟音が徐々に消えていくのとすれ違うように、会場を鳴り止むことのない大歓声と大きな拍手で包みこんでいった。
さらさが作る曲には、「人の心」というシンプルな共通点はありつつも、曲を聴き終えた時に残る結論めいたものは、聴き手の解釈の分だけ多様に存在する。
そんな中でも、比較的ストレートに描かれている“船”は、コントロールしきれない人の心のように変化していく広大な海で、どんな苦難が待ち受けようとも、先の明るい未来を願い、祈り、進み続ければ、その先には「存在し続けた確固たる証」がきっとあるはず。
そんな彼女の言葉から、yutoriへのエール、そして、さらさ自身の原点回帰、そして未来へ進んでいく意思表明も感じられた。
──・──
本編ラスト“船”が終わって、アンコールを求める鳴り止まない拍手の中、「Golden Child Tee」を着たバンドメンバーたちが登場。そのあとにさらさが姿を現し、バンドメンバーをひとりずつ紹介すると、ここまで素晴らしいライブを披露してくれたメンバーたちへ向け、オーディエンスから大歓声と割れんばかりの拍手が湧き上がった。
そんな幸福感が溢れる雰囲気の中、さらさライブ恒例の“あの”コーナーのスタートした。「曲リクエストコーナー(初期の呼び名)」改め「みんなが頑張るコーナー(昨年のWWW Xでのライブ時の呼び名)」改め「マジでデケー声出したもん勝ちのコーナー」。
改めて説明するが、このコーナーの目的はあくまで「ファンから最も多く声が上がった曲名の曲を演奏すること」だ。しかし、その目的と同じくらい、このコーナーはさらさとバンドメンバーそしてファンたちにとって、コミュニケーションを楽しむための大事な時間でもある。
「私のワンマンにきた人はわかると思うんですけど」──そうさらさが喋り始めた時点で、客席からは「よっ!」「おっ!」など待ってましたと言わんばかりの、前のめりな煽りの声が聞こえてきた。まだ“イントロ”にもかかわらず、みんなハイテンションで一様に楽しそうだ。
しかし、実際「せーの!」の掛け声から一斉に叫び声が上がると、案の定というか予想通りというか、まったくどの曲名が叫ばれてるのか分からない!リキッドのキャパ数、900人分の声が上がっているのだから判別つかなくて当然だ。
一方で、こういうアクシデント的な光景もまたこのコーナーの楽しさだったりする。そんな大盛り上がりの空気をさらに煽るように、これまたこのコーナー恒例、ディレイでレイドバック気味に叫ぶ輩と、ファンにはお馴染みの(大阪から東京に引っ越してきた)JJJニキも登場!会場中の笑顔が止まらない。
このコーナーも回数を重ねてきて若干茶番味が増しつつあるが、ここにいるみんなが笑顔で“楽しい”という共通言語を持って幸せな体験を共有しあっているこの時間に、そんな野暮な感情は不要だ。何故ならば、この時は「幸せ」と感じられることの方が重要だからだ。
結果1曲に選ばれたのは“火をつけて”だったのだが、これがまたスペシャルな光景を生むことになる。さらさが呼び込んできたのは、先ほど“温度”と“ネイルの島”でも登場した寺久保伶矢だった。“温度”と同様にこの曲でもレコーディングに参加している彼がジョインした“火をつけて”はイントロからスペシャルだった。
少しエフェクトがかったような寺久保のトランペットが一気に曲の空気を作り上げ、ライブ全体から感じる川のような流れと、この曲に込められた「自分の心の中にある激しい感情や新しい幸せを知る、美しくも神秘的な瞬間」を重ね合わせると、人間であることの喜びが込み上げてくる。
曲が終わり、ギターの弦をつまびきながら、会場に集まった満員のファンに感謝の言葉を口にするさらさ。
「今日は本当にありがとうございました。またどこかでお会いできたらすごく嬉しいですし、本当に今日来てくれて、会えて、めちゃめちゃ嬉しかったです。またこうやって、一緒にたくさん思い出を作っていけたらなと思います。ありがとうございました」
その言葉からは、彼女の溢れんばかりの感謝の気持ちが真に伝わってくるようで、こちらまで嬉しくなったし、「こちらこそ!」と言わんばかりの感謝の気持ちが大きな拍手となり、さらさにフィードバックされていった。
リキッドルーム公演、最後の曲に選ばれたのは、この日2度目の“Amber”。彼女が最後にこの曲を選んだ意味。これはあくまで推測だが、「Amber=琥珀」が持つ「陰と陽のバランスを保つ」という石言葉、その意味が「Live Bluesy」そのものであり、変わったことも変わらないことも全部ひっくるめてこの曲が「26歳の今だから彼女が感じていること」を表す一曲に相応しいからではないだろうか。
人間は生きていれば、様々な体験や経験をするし、その度に心は動き、新しい感情が芽生えたり、芽生えなくても何かしらの気づきが得られたり──その繰り返しで心情や感情は移り変わっていく。
そして、それら一つ一つには境界線は無くて、その時々で移ろい、交わりながら、今さっきとは異なるものに変わっては、時に消えていったりもする。だからこそ、人間の心に絶対的な結論はなくて、人間はそれを追い求め続けることで“成長”を得ることができるのだと思う。
そんな生き方は、当たり前のことではあるけれど、とても尊く、そして美しい。
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最後に、彼女が25歳の時間、「時の不可逆性」を考える過程で得た「楽しさ」について触れて締めたいと思う。このツアーで販売されていたセルフライナーノーツの『Diary』ページにこんな言葉が綴られていた。
自己認知/人格形成/キャリア形成って単純に考えたら時間を重ねるほど前に進むじゃない?
つーことは、「歳をとるほど楽しくなるやつやん!」と15歳くらいの時から思っていたけど、その頃は「頭で分かってる」の範疇を越えることはなくて。ついに25歳にして実感レベルで時間を重ねることの楽しさが私にも訪れた。(「生きること」や「人生の楽しさ」の話でなくて、「同じ自分でいる時間が増えていくこと」の楽しさの話)。
出典:セルフライナーノーツ
これが書かれた当時25歳にして、やっと「生きる」ということ自体に慣れてきたという彼女が感じていた「楽しさ」である。とはいえ、生きていればこの先もおそらく今までと同じように、さまざまな波やうねりが生じることはあるだろう。
しかし、彼女はそんな状況にも身を委ねることで、乗り越え、そして新しい“何か”を彼女の中に宿すのではないだろうか。そして、そこから生まれた“その時”の心情や感情が曲になり、僕らはそれを再び感じるため、さらさの曲を聴き続けるのだ。
さらさの母がアメリカの占い師から「“Golden Child(特別な子)”の女の子が生まれてくる」と告げられた「Origin(原点)」から始まった彼女の物語。そこから彼女の中に幾年もの年月を経て「Live Bluesy」という核を生み出した。
そして今年に入り、突如芽生えた「いい曲を作りたいな」という感覚と、そこから生まれ落ちた傑作『Golden Child』とこの日のライブ。この一連の物語は果たして偶然的に生まれたものだったのだろうか──?
自分は必然だったと思う。なぜならこの作品は、コロナ禍以降彼女が苦しみながらも、さまざまな経験や体験を取り込みながら、自らの心の内と向き合い、考え、行動し、その繰り返しの先に結実したものだからだ。
そしてライブで披露された楽曲たち、それを真正面から感じ心に刻み込んだファン。その信頼関係を作り上げたさらさの楽曲たちは、さらさにとってもファンにとっても間違いなく“Golden Child”である。
<セットリスト>
01. 予感
02. 雲が笑う時
03. Roulette
04. 退屈
05. リズム
06. Viburnum
07. 太陽が昇るまで
08. f e e l d o w n
09. 温度 (w/ 寺久保伶矢)
10. ネイルの島 (w/ 寺久保伶矢)
11. 遠くまで
12. グレーゾーン
13. ミルクティー (UA cover)
14. 朝
15. 祝福
16. Amber
17: このまま
18: 船
─ ENCORE ─
19. 火をつけて(requests from fans) (w/ 寺久保伶矢)
20. Amber