追悼:WILKO JOHNSON

ワールドカップの関連番組を観ていたら、突然、ウィルコ・ジョンソンが亡くなったという知らせがSNSにでてきた。ほどなくしてウィルコ・ジョンソン自身のTwitterもアナウンスしていたので、それが事実だということを受け入れざるを得なかった。

LIM PRESSでは何度かウィルコ・ジョンソンのライヴをレポートしている。そのときにも書いたけど、ウィルコ・ジョンソンのライヴには2つの忘れられないライヴがあった。ひとつは、東日本大震災直後の4月に来日して公演をおこなったことである。多くの海外アーティストが来日を中止しているなか、予定通りライヴをおこなったのだ。

4月の時点では、大きな不安が日本を覆っていて、先行きの見通しが立たなかった。節電が叫ばれ、しばらくプロ野球のナイトゲームはできなくなり、街の明かりが消えた。その年の夏フェスはどこも開催されたのだけど、4月の時点では、おこなえるかどうかわからなかったのだ。

ウィルコ ・ジョンソンはそれでも渋谷クアトロのステージに立ち、いつものようにギターを弾いていて、その姿をみてどれだけ励まされたか。

もうひとつは、すい臓がんが宣告され余命いくばくかのときにおこなったフジロック2013のステージである。死を前にいつものロックンロールを演奏するという姿に感銘を受けたのであった。結局、その後9年も生きていて、何度か元気に来日してライヴをおこなっていたのだ。

この人間国宝というべきひとりのロックンローラーが全身全霊をかけてロックする、その生きた奇跡を目の当たりにできる、それだけで感謝すべきだし、その姿に触れている幸せを噛み締めればいいだけの話なのだから。人間は死と向き合ったときどういう態度を取れるのか、何ができるのか、何をなすべきなのか、そのひとつの高潔な姿を、われわれはみることができたのだ。

ウィルコ・ジョンソンは1947年に誕生し、1971年にドクター・フィールグッドを結成。パンクロック前夜にパブロックと呼ばれるシーンをけん引してシンプルでラフなロックンロールを演奏して人気を博す。ライヴアルバム『Stupidity』(邦題だと『殺人病棟』)は全英1位を獲得した。また日本のバンドにも多大な影響を与えたことも特筆すべきことだろう。シーナ&ザ・ロケッツ、ルースターズ、THE HIGH-LOWS、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT……と数多くいる。LIM PRESSでよく取り上げているバンドでいえばニートビーツやザ50回転ズへの影響は大きい。

2010年代はむしろ日本での人気が大きかったかもしれない。頻繁に来日して日本のミュージシャンと交流し、特に京都のライヴハウス磔磔を愛し、磔磔を取り上げたドキュメンタリー番組にも出演した。

ちょっとイリーガルな感じなんでリンクは貼らないけど、「Kyoto Session」と題し磔磔で、ニートビーツや50回転ズとセッションしている動画もあるので探してみてほしい。

大きく目を見開き、シンプルで多くの人たちが真似をしたがるギターは、ウィルコ・ジョンソンが切り開いたものだった。もっともっと長生きしてあのマシンガンギターを聴きたかった。だけど、病気との闘いも人にはみせない辛く長いものだったのかもしれない。この9年間にありがとう、お疲れさまといいたい。


THE WHOのロジャー・ダルトリーとだした“Going Back Home”。ウィルコ・ジョンソンの過去と現在の映像が交差しているのが素晴らしく興味深い。

WILKO JOHNSON | 京都 磔磔 | 2018.9.23

Text by Nobuyuki Ikeda
Photo by Tomoko Okabe