吉野寿インタビュー / 11年ぶりのソロ新作『outside yoshino #1』を語る【後編】

バンドは火炎みたいなもので、ソロはマッチの火みたいなものです。でも火は火ですから。

1曲目の“捨てて生きる”は2016年くらいからライブで演奏されている曲ですね。

“捨てて生きる”は録音の方が先なんです。ライブでやり始める1年ぐらい前、いま住んでいるところに引っ越してきて、間もない頃に録ったものです。

長年お住まいだった天沼から今のご自宅に引っ越したのは、2015年の初め頃ですね。“ビンビール”と、”今日を生きるしかねえんだ俺たちは”は、初めて聴いたときに、同じ曲が続いているように聞こえました。瓶ビールを飲みながら追憶を巡らせている主人公が、次の曲では「とは言っても、やっぱり今を生きるしかない」と自分自身に言い聞かせるようなストーリーを感じました。

あれは(マスタリングを担当した) PEACE MUSICの中村(宗一郎)さんが、繋がってる方がいいと思ったのかな。本当は6秒くらい間をあけてほしかったんだけど、2曲目の終わりと3曲目の始まりはキーとかテンポが一緒なのかな? だから詰めたほうがいいって判断したんだと思います。

“今日を生きるしかねえんだ俺たちは”は、コーラスワークも印象的でした。全てご自身でコーラスされたんですか。

DIYなんで、コーラスも全部、俺です。

“ワンチーム”ではトーンが重くなり、吉野さんがライブのMCで「ロックでひとつにならなくていい」と言っているのを、別の角度から捉えている曲のように感じました。おじいさんが倒れていた状況には、実際に遭遇されたのでしょうか。

実話です。6月か7月くらいの晴れて蒸し暑い日に、吉祥寺通りを歩いていたら、買い物帰りのおじいさんが車道の脇で自転車ごとぶっ倒れてたんです。すでに車が2台止まっていて、男の人が出てきて遠巻きに「どうしたんですか」って聞いていて。車道だったからそのままにしておくわけにもいかなくて、抱き起こして歩道まで連れていったの。その時は何も考えてなかったけど、後で考えるとコロナで接触したくなかったんだね。彼らは「さっきあそこに警官がいたから」とか言って行っちゃったんだけど、全然来ないから、こっちからも110番に電話したらほどなく自転車で警官が来て、すぐに救急車も来て、おじいさんは連れて行かれたんだけど、置き去りになった自転車のカゴに鮭の刺身のパックとアイスモナカが入ってたの。鮭は今日食おうと思ったんだろうし、アイスはすぐにでも食おうと思っていたんだろうに、どうするんだろう、これ、と思ったんだけど、みんな知らん顔だし、警官も事務的に処理して、俺も「じゃあお願いします」って普段通りにまた歩き出して。まあ、みんな自分が可愛いよね、と思う場面は少なくないですよ。だから、ワンチームとかそらぞらしいな、自分も含めて、冷たい社会の一要素っていうか、オールフォーワンなんてどの口が言うんだ、とか、そんな風に後々じわじわ辛くなってきた。

最初に止まって「大丈夫ですか」って言ってた人たちは悪い人たちじゃないですよね。どうしていいのか、その人たちにもわからなかったんだろうし、自分だってどうしていいのかわからないし、責められないし。美談とか絆とか、そんなわけねえだろ、と思っていますよ。一人一人立場が違うのに、わかりやすく単純化して無理やりまとめちゃうのは気に入らないですね。

吉野さんはその時できることをしたけれども、腐っていく刺身のパックやアイスモナカに無力感が反映されています。

実際、無力ですし、みんなで声をあげて、っていうのに入っていけないし、しょうがないけどそれでも生きていく、みたいな気持ちを持っています。

“ナニクソ節”は2011年にYoutubeで発表された音源が、今作にも収録されています。新たに録音しなかったのは何故でしょうか。

あの録音がベストだと思ったから。拙い録音ですけど、あの時点での精一杯の気持ちを込めて録ったので。今もネットで聴けるようになっていますけど、今回のアルバムの中にあってもいいんじゃないかな、と思って。10年前に録った時の気持ちは、今も変わらないです。

Youtubeの音源は東日本大震災から8日後にアップロードされました。当時のことは覚えていますか。

ワーっとなって、無力感っていうか、ああ、俺はそういう人間なんだ、ってはっきりさせるためにあの歌を作ったということですかね。3月11日から2日後くらいに着手しました。2回くらい歌詞を変えて、2回くらい録り直しています。友達はみんな、すぐに助け合いで動いてて、いろんなことをやってましたけど、俺にはそういうことはできない。できることは何もなかったわけです。結局、自分が追い詰められた時にどうやって切り抜けているか、「俺はこんなふうに、呪文みたいに、念仏みたいに唱えて生きてきたよ、ナニクソー、と思って生きてきたよ」ということしか俺には言えなかった。

“ナニクソ節”は、プレッシャーを押し返すような反骨精神が際立っていますが、今作は全体的にアコースティックな音の感触なども相まって、怒りの反発力よりは、優しさとしなやかさが印象に残ります。

侘しさじゃないですか? いろんなことを諦めざるを得ないんだけど、諦められない。どうにか食らいついて生きているけども、諦めなきゃいけないようなこと、年齢とかもそうですし、どうにもならないことっていっぱいあって、そういうものって侘しいですよね。誰のせいでもないし、噛み締めて飲み込むしかない。バンドとはまた違う角度の、もっと内向的な、個人的なダサさっていうか、そういったものにしたかったですね。それでいいんじゃないかな。バンドでやっていることと根っこは繋がっているんですけど、バンドは俺だけじゃなくて村岡さんとタモの3人で作ってる混合物ですから、もっと塊というか、火炎みたいなもので、ソロはマッチの火みたいなものです。でも火は火ですから。ちっちゃいけど、温度は同じです。その違いなんじゃないですかね。

いまのお話から“小さな明かり”を連想しましたが、吉野さんが「小さな明かり」と例えるものを自分の中にあると実感していられるのは何故でしょうか。

それだけを頼りに生きているからじゃないですか。それを見失ったら生きていけない、みたいなものって、誰でもひとつ持ってるんじゃないかな。それは子どもの頃から変わりませんよ。散々のけ者にされて生きてきたんで、余計にそういう自分だけの大事なものっていうか、たとえマッチの火みたいなものでも、これだけは渡さないぞ、って大切に思っているんだと思います。それは言い方が違うだけで、バンドで歌っていることと同じことだと思う。

マッチの火を、他の言葉で言い換えると?

「俺は俺でいいんだ」っていう感じですかね。普段は自己肯定感みたいなものはすごく低い人間なんですけど。「自分はすごいんだ、強いんだぞ」みたいなことじゃなくて、「それでも俺はこれで生きていくんだ」って自分を認めてあげたい気持ちかな。

今まで侘しさや無力感といったキーワードが出ましたが、吉野さんが自分の弱さや、うまくいかないような部分も否定せずに受容できるところが、かえって芯の強さに繋がっているのかなと感じます。

「俺がついてるからな、俺。誰もいなくなっても、俺には俺がついてるぞ」って子どもの頃から自分にそう言い聞かせて生きてきました。世の中、「敵じゃないけど味方でもない人」か、「敵」か、しかいませんよ。「でも大丈夫だ、俺には俺がついてる。しっかりしろ」っていうような気持ちがないと、踏み外しそうなんですよね。「もうどうでもいいや」ってなると、何をするかわからない。全員敵なんだから全員殺したっていいし、自分も死んでもいいみたいな。自分で自分を励まさないと、軸が崩れるっていうか、骨から崩れるっていうか、自分を保てない。それが俺にとってはギターだったり、歌だったりするんですよ。大事なことなんですよ、ギターを弾いたり、ワーっとやることは。稼ぎたいとか、なにより、もうそれしかないんですよ。最後の命綱っていうか。

自分の味方である自分自身との信頼関係が、危うくなったことはありませんか。

我ながら、ほとほと自分が嫌になる、って事はたくさんありますけど、やっぱり自分ですものね。自分以外にはなれないですし、あるのは身体ひとつじゃないですか。しょうがないっていうか、それでまたトボトボ歩くしかない。自分で自分を殺さないようにするっていうか。

“日暮れどき”では、「みんな死ね」と歌った後に、嘘だよと一転して幸せと長生きを願う歌詞の展開に驚きました。

そんなもんでしょう。案外冗談抜きでみんな死ねって思ってたり、でも「いやいや、長生きしてください」というような気持ちはみんなあるんじゃないかな。スルッと自然に出ました。

自分の長生きや幸せを望むことはないですか。

自分のことはあんまり思わないですね。長生きしたいとは思わないですが、じゃあ明日死ぬのか? ってなったら、やっぱり怖いですね。自分には子どもはいませんし、子々孫々みたいなものにも全く興味がなくて、自分は一代で終わりと思っているので、なるべくひどいことになる前に片付きたい、という気持ちはあります。とはいえ、死ぬってそう簡単にはいきませんから、「生きられるだけ生きてみよう」という気持ちではありますよ。

同世代の仲間がたくさん亡くなっているんです。最近、またひとり亡くなりました。辛いなと思いますけど、300年生きる人はいませんからね。自分にも気構えがそろそろ必要なのかな、とは思ってます。逆にコロナで明日死ぬかもよ、っていうのはそんなに恐ろしくない。一回、心筋梗塞で死にかけていますし、「その時」って突然くるものなんですよ。そんなに簡単に割り切れるものじゃないとは思いますけど、そうやって死んでいった人はたくさん見てきましたし、自分の番がいつくるか、意識してはいるんですよ。あまり後に何か残そうっていう気持ちはないです。

“フラッシュバック”でも喪失体験の積み重なりが歌われていると感じますし、11年の間に人生に抗えない部分、どうしようもない部分があるという色が濃く滲んできたように感じます。

おじいさんになってしまいました。でも、特に何か心境の変化っていうのはないです。自分の中ではひとつですから、ここを境に、っていうのはありません。気持ちにムラがあるから、次は全く反対のことをやる可能性もあります。やっと録音の機械が少しわかってきたので、「これができるんだったら、こうやって録ってみよう」っていう楽しみというか、広がりはあるかもしれない。世の中のちゃんとしたプロの人たちは100万光年先で、いろんなことをやっているんでしょうけど。地道に積み木で遊んでいるような感じですかね。素朴なものです。

吉野さんもプロとして30年以上音楽で生活なさっていますが……。

音楽的な能力があるとは思えないし、技術は全然ないんですよ。一個も上手くならないし、勉強が嫌いなんですね。みんな、ちゃんと勉強してるんですよ。いろんな人の譜面なんかを学習して、まず模倣することから技術を習得して、それを自分の中に生かして、練習〜上達〜スキルアップ、みたいな感じでやってるようだけど、俺はそれを目的としてやってない。そこじゃない。元々の動機が違う。流石にコンピューターの録音みたいなのは初歩的な勉強をしないと無理でしたけど。「だからダメなんだよ」ってことなんだろうけど、しょうがない。そういう人間だから。本当は音楽の世界で生きていく資格がないのかもしれないけど、他にやれることがないんですよ。「どうするの? これから」っていうところに常に直面してる。恐ろしいけど、それを選んで生きてきたし、こういう風にしか生きて来られなかった。でも今も生きてるし、諦めてないんですね。だからこういうものをチクチク作ってまだ生き延びてやろう、という、悪あがきですよ。恥ずかしげもなく、まだまだリリースしますよ。

吉野さんの器用とは言えなくても、退路を絶って真っ直ぐに音楽にご自身の存在を賭けてきた姿勢は、メジャーデビュー前から一貫しています。リスナーはそういうところを信頼しているのでは。

聴いてくれる人がいなければ、生きていけないわけです。何が良くて聴いてくれるのか、正直わかりませんけど。こういうふうにしか生きられないんでそうしてるだけで。そんなに友達もいないし、誰からも好かれないし、よくここまで生きてきたな、と不思議な気持ちですが、いまさら後には引けないし、それ以外に道はないんです。

2月の沖縄のライブのMCでは、「俺は消費されるのは嫌いだよ。聴いてくれる人が必要だ」と話していましたが、吉野さんにとって消費されるとはどんなイメージですか。

「売れているから聴いてみよう」とか「なんとなくみんながいいって言ってるから聴こう」みたいな感じかなあ。使い捨てみたいな感じ。使って捨てて、使って捨てて、忘れていく。自分で見つけ出して、自分で選んで、自分の中で大事なものにしていく、ということ以外は消費ということになるんじゃないか、と思ってる。もちろん、消費でもいいんです。お金を払ったらその人のものですから。でも自分としては、消費者としての他者を想定して歌を作っていないし、そういったサービス業ではないと思っているし、俺は俺ですから。そこは最初からはっきりさせてきたと思います。

長く続けてきて、今は、(リスナーとして)残ってる人だけが残ってると思う。だから、ちゃんと信じてるっていうか、顔と顔、人と人で繋がりが持てるんだ、ってことは信じていますよ。信用できるやり取りっていうのがあるんだな、そしてそれはそんなに多くはないんだな、っていうか。多くは求めていないですね。今のままで充分ですよ。生きていられていますから。身に余る幸せですよ。ここで地道にやれれば。どこまで行けるかわかりませんけれども。っていうようなところですかね。(終)

吉野寿インタビュー / 11年ぶりのソロ新作『outside yoshino #1』を語る【前編】


『outside yoshino #1』
2021.3.22 発売
定価:¥3000(税込)
http://hadakanbo.shop-pro.jp

【収録曲】
1.捨てて生きる
2.ビンビール
3.今日を生きるしかねえんだ俺たちは
4.フラッシュバック
5.ワンチーム
6.ナニクソ節
7.用事もないのに
8.ポンコツ街道一直線
9.小さな明かり
10.わたしだけのもの
11.日暮れどき

Text by Keiko Hirakawa
Photo by Keiko Hirakawa