eastern youth | 東京 渋谷 Spotify O-EAST | 2023.12.02

終演後、手拍子は8分間鳴り続けた

「今回のツアータイトル、EMO(エモ)の細道です。もちろん冗談ですよ。音楽ジャンルで、Emo(イーモ)なんていうのはねえから。僕らパンクバンドですから。あんなもんと一緒にすんな。パンクロックだけに関わらずですよ、どんな音楽でも静かな音楽でも、人間のエモーショナルっていうのは必ず込められてるわけよ。だから、そんなエモとか何とか、そういうジャンルなんていらねえんだよ」

『eastern youth 35周年記念巡業~EMOの細道2023』ツアー初日の9月23日、横浜F.A.D.で吉野寿(Gt/Vo)はツアータイトルについて、このように言及していた。吉野は安易にエモという音楽ジャンルにカテゴライズされることを拒んできたはずだが? と提示されたツアータイトルを見て不思議に感じた人もいただろう。ましてや言葉の起源を共有しながらも、感動的な瞬間や切ない出来事、あるいは個人的な感情を表現するのに「エモい」なんて極めて曖昧なスラングが氾濫する昨今。そんな折、あえての”EMOの細道”? と思っていたが、やはり吉野の根本的なスタンスに変わりはなかった。

初日の横浜公演から2ヶ月半を経て、12月2日、eastern youthは渋谷O-EASTでツアー最終日を迎えた。ステージ上手の壁面には京都新潟でも登場した「満員御礼」タオルが掲げられ、フロアはかなりの密度で埋まっている。

Built to Spillの”Some”をバックに吉野、村岡ゆか(Ba)、田森篤哉(Dr)の3人がステージに登場。吉野がゆっくりとギターを爪弾き、しばしの静けさから、”今日も続いてゆく”。目が覚めるような爆発的なアンサンブルが空間を満たし、力みなぎる吉野の歌声に奮い立たされる。吉野は同曲でツアー全般を通して「4番ホームから”誰が”飛び去っても」と歌詞を変えていた。ここから8曲目の”ドッコイ生キテル街ノ中”まで、MC一切なし、ノンストップで突き進むのが驚きである。

イントロだけでフロアから歓声が湧き上がった”夏の日の午後”で早くも最初のクライマックスに到達し、”踵鳴る”では吉野の声の限りの絶叫が胸に刺さってくる。ステージ上で一丸となってひたすら突き進む3人の演奏を、観客は振り落とされないように必死に受け止め対峙している。凄まじい集中力で放たれる楽曲の合間、静寂の中の吉野と村岡による会話のようなフレーズや、張り詰めたテンションの中響く田森のカウントも、eastern youthのライブの美しい瞬間だ。”青すぎる空”のイントロの前には、フレーズを繰り返すために”ワンモー!(one more)”と吉野が声を上げると、フロアから笑いが起きる場面もあった。

フロアがシンガロングに満たされる”裸足で行かざるを得ない”、煌びやかなバンドアンサンブルと吉野の渾身のボディランゲージが目を惹く”素晴らしい世界”、そして間髪入れずの”ドッコイ生キテル街ノ中”で中盤のピークが訪れる。『心ノ底ニ灯火トモセ』の収録曲はライブで演奏される頻度が少なく、今年7月の渋谷クラブクアトロのライブで同曲が演奏されたときに珍しいなと思ったものだが、今回のツアーではテンションが極まる重要なポジションを担った。この曲を聴くと、吉野が急性心筋梗塞で倒れ、復帰した以降のeastern youth再生の歩みを思い返す人もいるだろう。

8曲の演奏を一気に終え、ようやく吉野が会場に足を運んだ観客に挨拶とお礼を述べる。

「どうにかこうにか、首の皮1枚で命を繋いでまいりました。諦めねえ、諦めねえと、私何度も繰り返して言ってますけれども、実のところ言うとあらかじめ諦められるものはみんな諦めてるんですよ。もう満額諦めてる。この上、何を諦めろと言うのか。社会は私に、何を諦めろと迫るのか。私から何を取り上げようとしているのか。生きることを? 諦めろと言うのか。諦めねえぞ。金輪際、一歩も、1ミリも、引かねえからな」

吉野がそう語って演奏されたのは”ソンゲントジユウ”。ぐっと握りしめた手の中に最後に残った譲れないものを想起させる切実さがある。”矯正視力〇・六”の間奏では吉野はギターのネックをマイクスタンドに滑らせ、空間にはノイズが昇り狂い、吉野、村岡、田森が息を合わせて放つ轟音がフロアを震撼させる。

「何度も言ってることですけれども、気がつくと、ハッとした瞬間にチャック開いてねえかな? いっつも気になるんですよね」「私の人生チャックとともに、歩んできました」などと語り出す吉野。横で苦笑している村岡に「失礼。セクハラに当たるようであれば謝罪します」とおもむろに謝ったりしていた。

「でもさ、これからの人生、何年生きるかわからないけれども、その人生の時間が全てチャック全開だったとしてもだよ。それは立ち止まりませんよ。行けるとこまで行く」

チャック全開だったら、いったん止まって閉じてもよいのでは? と観客に思う隙すら与えない説得力で”いずこへ”が始まり、終盤に向けてさらに加速度を増す。”雨曝しなら濡れるがいいさ”では吉野の一身に世界と対峙するような気迫に圧倒され、ステージが白い光に包まれ発せられる神々しいノイズから、”たとえばぼくが死んだら”と”時計台の鐘”の流れはeastern youthの純粋性の極みに触れるような時間だった。

吉野は気分が悪くなった観客がいたようだが大丈夫でしょうか、とフロアを気遣いながら、岡山出身の村岡を紹介する。「ご先祖様は? っていう話をしたときに、伝説のいにしえの昔、どこかの島に悪いやつらがいたそうで、そいつらのところに乗り込んで皆殺しにしたっていう、桃ナントカっていう剣豪の末裔だそうでして、ですから私達は未だに村岡さんをとても恐れておりまして、今でも、本日の例えば出演料なども一度村岡さんの金庫に入って、それから我々きび団子という形で報酬をいただいています。一生ついてまいります。どうぞ殺さないでください」意外なバンド内の力関係(嘘)が明かされ、観客も苦笑いしている。

次に「タモです」と吉野が紹介すると、手を振って観客の歓声に応える田森。吉野が田森にMCをするか様子をうかがうが、田森は応じなかった。

「やだって言ったときはもう無理には喋らせないからね。僕のたったひとりの9歳からの友達で、本当のたったひとりの友達、タモです。毎度いろんな町でお話ししてるんですけども、ネタ化してるからこの話しないでおくかなと思ったけど、涙の磯丸水産の話しとくか?」

「我々の35周年、EMOの細道だのなんだの、ふざけた名前をつけてやってますけれども、俺とタモが20歳のときに作ったバンドなんで、我々の今の年齢は推して知るべし。その間、ね、高速道路をビュンビュン走ってきたような、平坦な道のりじゃなかったんです。何度も半殺しになったりなんかして、心臓が止まりかけたりとか、いろいろありましてね。それで、前任のベーシスト(二宮友和)が抜けるっつったときに、やめようと思ったんですよ、バンドを」

「もう駄目だと思って、あんな弾ける人、あの人は普通の顔してますけど、天才なんですよ。めちゃくちゃに弾けるわけ。で、もうそういう代わりは効かんと思って、やめるべと思ったんですよ。俺はでもニノにやめるわって言われたときに、わかってたわけ。『ああ、きた』と思って、『ああそうか』っつって、タモはキョトンとしてたんだよね」

後日改めて、吉野は田森をJR大久保駅近くの磯丸水産に呼び出した。吉野はバンドをやめる気満々で、田森も同様の結論を出すだろうと予想していたが、田森の答えは「やめない」だった。

「やめるのは簡単だと。すぐできる。今日でも明日でもやめるっつったら、やめだから。この先いつまでできるかわからんけども、諦めんな、やめるなって言ったわけよ」

しばらく飲んで、再度問いかけても、田森の意思は変わらなかった。「うわ、やめねえんだ、やっぱ決意は固い、あんなに弾けるやついねえぞと思ったわけよ。天才、えー? と思ったら、川上の方から、何かお尻のような形の大きな果物が流れてきて、あれ、あれ、あれあれあれ? と思って、拾って、ぶち割ったら中から出てきました、この人」

と言って、村岡を指す吉野。フロアは拍手に包まれる。バンドがいまここに立っているのは、吉野のみの力ではなく、唯一無二の親友である田森が吉野に「やめるな、諦めるな」と言ったからであるし、村岡が8年間懸命にバンドを支え続けたからでもある。村岡に関しては加入当時に相当なプレッシャーを背負ったことは想像に難くないが、今や独創的なフレーズや楽曲の幅を広げるコーラスで目覚ましい存在感を放っている事実に胸を打たれる。

「こうやって我々命を繋いできたわけです。俺はただウェーイ、カンパーイ!って言って今日まで来ましたけど、タモと村岡さんのおかげで今日まで来ました。この先どこまでいけるかわかりませんけど」

「ご紹介が遅れました。そして私、名前はまだない。血は36°Cで沸騰する」

そして切り込んでくる”沸点36°C”の晴れやかな響き。続く”荒野に針路を取れ”。eastern youthの有り様をそのまま象徴するかのような2曲である。いや、今回は演奏される全ての曲それぞれがeastern youthを象徴していたと言えるだろう。そういった曲目が組めるのは、吉野が長年変わらぬ姿勢を貫き通してきたからこそであるし、そのブレなさと年月の重みに観る側は戦慄するのである。

どうしたって情感を揺さぶられる”夜明けの歌”と、スピード感とキレのある”街の底”で本編を締め、アンコールに応えて3人は再度登場し、村岡が挨拶する。

「お越しいただきありがとうございます。村岡と申します。こちらから拝見していると結構(フロアが)ミチミチで皆さんしんどいんじゃないかしらと思って、おばちゃん心配になっちゃう。桃太郎だったおかげでこのバンドに入れていただけてよかったです。これからも頑張ります」

吉野が「モァー!」と叫んで、村岡にもっと喋るよう身振り手振りでリクエストすると、村岡は「アンコールありがとうございます」とつけ足してドライヴ感あふれる”月影”。セットリストの他の曲はツアーを通して固定されていたが、アンコール1曲目のみ横浜〜新潟までは”街はふるさと”、札幌では”故郷”、大阪、名古屋、渋谷は”月影”へと変更された。

この曲目変更については、田森が京都公演のあとに、ツアーを複数公演観にくるかもしれないお客さんのことを考慮して、メンバーに提案していた。札幌からは田森のドラムセットの機材が増えて、渋谷ではさらにセットの中央に鐘も置かれた。ゴージャスなドラムセットは田森のパワフルで華やかなプレイに最高にマッチしていた。今回、年末や大きな会場のライブでは恒例だった田森のMCはなかったが、ツアー中でもアップデートを試みる田森の、お客さんへ向けた心意気が伝わってくる。

JAGATARAの”夢の海”のリズムに合わせて観客から手拍子で迎えられたダブルアンコールは、”DON QUIJOTE”。

冒頭の「そう、何度でも何度でも歌う。ひとり行く身がつらい夜は、空の彼方に俺を呼べ! ワン、ツー、スリー、フォー」の吉野のカウントともに、フロアからも盛大に「ドンキホーテ!」のコールが上がり、フロアから上がる無数の拳の光景とともにライブは締めくくられたのだった。

「今日は本当にありがとうございました。みなさん良いお年を、また会う日まで!」

そう言って、吉野はお辞儀をして、田森、村岡とともにステージを後にした。一寸先は闇のような”EMOの細道”の行き着く果てで、3人が持てる力を全て燃やし尽くし、eastern youthに賭ける思いと生き様までも濃密に映し出す壮絶な2時間だった。終演後、多くの観客がフロアに残り、3度目のアンコールを求める手拍子を送り続ける。終演後のBGMだった浅川マキの”それはスポットライトではない”が鳴り終わった後も手拍子は止まなかった。終演から8分後、ステージセットの片付けが始まって、ようやくこれ以上のアンコールはないと悟ったフロアは、大きな拍手を3人へ送ったのだった。口々にステージへ「ありがとう」と声をかけている人たちもいた。

次のライブは2月3日(土)、渋谷クラブクアトロにてゲストにT字路sを迎え、『極東最前線 102 ~シブヤ泣き笑い劇場~』が開催される。T字路sとの共演は今年5月の梅田クラブクアトロ以来である。

<SET LIST>
01.今日も続いてゆく
02.夏の日の午後
03.砂塵の彼方へ
04.踵鳴る
05.青すぎる空
06.裸足で行かざるを得ない
07.素晴らしい世界
08.ドッコイ生キテル街ノ中
09.ソンゲントジユウ
10.矯正視力〇・六
11.いずこへ
12.雨曝しなら濡れるがいいさ
13.たとえばぼくが死んだら
14.時計台の鐘
15.沸点36°C
16.荒野に針路を取れ
17.夜明けの歌
18.街の底

E1.月影

E2.DON QUIJOTE


『eastern youth 35周年記念巡業~EMOの細道2023』
https://smash-jpn.com/live/?id=3967

横浜  9/23(土) F.A.D YOKOHAMA
福岡  9/30(土) DRUM Be-1
京都  10/7(土) 磔磔
盛岡  10/21(土) CLUB CHANGE WAVE
仙台  10/22(日) Rensa
岡山  10/28(土) YEBISU YA PRO
新潟  11/3(祝) CLUB RIVERST
札幌  11/19(日) ペニーレーン24
大阪  11/25(土) 梅田クラブクアトロ
名古屋 11/26(日) 名古屋クラブクアトロ
東京  12/2(土) 渋谷 Spotify O-EAST

Text by Keiko Hirakawa
Photo by Keiko Hirakawa