【フジロック’22総括 Vol.3】 このかけがえのない場があり続けるために

「わたしたちは星くず 金色に光り輝く星くず みんなが一緒になって エデンの園に帰るのだ」‐ジョニ・ミッチェル“Woodstock”

去る7月28日(木)、3年ぶりに開催されたフジロックの前夜祭。グッズ売場や飲食店が並ぶイエロー・クリフとオアシス、当日まで誰が出演するか明かされない名物スペシャルライヴのあるレッドマーキーが開放される。そこでは盆踊りが繰り広げられ、花火が打ち上げられたりと、最も祝祭感のあるひと時だ。入場ゲートをくぐって、オアシスエリアへの橋に差し掛かると、お馴染みの“苗場音頭”の和太鼓のビートが腹に響いてくる。グリーンステージの方からVAMPIRE WEEKENDによるリハーサルの音も。橋を渡るとやぐらの周りを取り囲んでいる笑顔でいっぱいの人たちの姿を見た時に、涙がツーッと流れてきた。ここに戻って来れた感動と感謝、多種多様な人たちが繋がり、支え合い創り上げてきたかけがえのないフジロックという場にダイレクトに触れるような瞬間。今年も世界のいたるところから、それぞれの日常を飛び出して、たった今生きているということを実感し共に楽しむためにここへ帰ってきたのだ。

今年のフジロックへ至る繋がり

今年で記念すべき25周年を迎えたフジロック。「(昨年の)特別なフジロックから、(今年は)いつものフジロックへ」とのアナウンスが3月7日に、第1弾ラインナップの発表が4月1日に出て、ワクワク感が7月末に向けてどんどん高まっていった。更に今年は不思議な巡り合わせがあった。ゴールデンウィークあたりから『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』、『ローレル・キャニオン』に『エコー・イン・ザ・キャニオン』と1960年代~70年代の米国ウエスト・コーストロックシーンを描いたドキュメンタリー映画を立て続けに観る機会を得た。ロサンゼルスのハリウッド・ヒルズ近郊にあるローレル・キャニオン。そうそうたるミュージシャンたちが近所に住んでいて、お互いの家にギター1本を持って自由に訪ね合ってジャムセッションし、そんな日々の生活がそのまま誰もが知る名曲になっていたりと、いかに世界の隔たりがなく密接な繋がりがあったかを目の当たりにした。そして、フジロック直前のトーク・イベント『ムロケン・ワンダーランド』に二日間参加。1960~70年代のアメリカに滞在し、ビートルズのシェイ・スタジアム公演から、ボブ・ディランのロックへの転向期のステージ、ウッドストック、ザ・バンドの解散ライヴであるラスト・ワルツまで、数々の伝説の現場を体験してきたムロケンこと室矢憲治による現地での体験談を語り、ナビゲーターの松居功によるその時の日本におけるリアルを返す。日米それぞれのリアルをぶつけ合う様はさながらラップバトルのようで刺激的だった。一連の映画とトークショー、いずれも自分が生まれてすらいない時代のこと。想像を超えた話だらけにもかかわらず、どこか「分かる!」と膝を叩いてしまうようなスッと自分の入ってくる感覚があった。音楽の持つ可能性が拡大し、それぞれ一人一人が世界に向かって何かできると信じていた時代。あの時代の熱量、ヴァイブスは人も国も時代も超えて響くものがあるのだろう。フジロックへ至る大きな流れや繋がりを感じずにはいられなかった。いつも頭にある「なぜフジロックなのか?」という問い。冒頭の“Woodstock”の歌詞の通りだ。「なぜみんなここに帰ってくるのか?」そんなところから歩いたのが今年のフジロックだ。

誰もが自由に表現していい場

今年一番最初に観たのは、ピラミッド・ガーデンにおけるLOVE FOR NIPPONのステージ。ピラミッド・ガーデンのプロデューサーにして、本一般社団法人の代表理事でもあるCANDLE JUNEの言葉が今も脳裏に焼き付いている。2011年3月11日東日本大震災から11年間、毎月11日に福島で復興支援の活動を続けてきたことについて、現地の子供たちからお年寄りの方々、理解を示してくれる仲間たちと一緒に何もないところから創る場はフジロックの何倍も楽しいんだと語っていた。フジロックという場があるのが当たり前としている甘え、アーティストが自分のスタンスを自由に表現でき、知らないことに触れさせてくれるこのフジロックという場がいかにかけがえのない場所かということに向き合わせてくれた。ヒット曲を連発し、徹頭徹尾エンターテインメントなセットリストで挑み、大好評だった鈴木雅之ORANGE RANGE。かつては洋楽フェスアンチだった清春は、今自分がいるのはここだと対照的に最新の曲のみで構成されたセットを披露した。アトミック・カフェでは、原発問題を筆頭に沖縄、ウクライナ、気候変動…今年も様々な論点が提示された。表現者の意図が、届いたものもあれば届かなかったものもあるだろう。それでいい。ここは自分がまったく知らない世界に触れて、得た発見や自分なりの見解を発進していく場だ。アーティストも、オーディエンスも、主催者も、誰もが表現し繋がり合っている場面を何度も目の当たりにするのだ。

個からコラボレートの時代へ

今年は例年以上に互いのステージに出演し合う多くのコラボレーションを目撃した。TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRAのステージにゲスト出演したハナレグミが、翌日の自身のステージのバックをスカパラの面々が務めることをサプライズ告知したり、JONAS BLUEにBE:FIRST、Night TempoのLadies In The City Live Setには矢川葵、BONNIE PINK、野宮真貴が姿を見せたりとアーティスト同士の交流は枚挙にいとまがないほどだった。ただゲストとして出演するというコラボのレベルを超えているなと感じたのは、PUNPEEのステージ。自分が影響を受けた、愛するヒップホップというカルチャーを紹介していくようなセット中でのZEEBRAが登場し、まだリリースされていない新曲をドロップしたのは感動した。互いに共感し合い、ゲストやバンドメンバーと一緒に表現し創り上げていく舞台。個人的に今年のベストライヴのひとつ、TOM MISCHのライヴにおいても強く感じたことだ。グイグイと前に出て自分のスキルを見せつけていくのではなく、サラッと凄いギターソロを繰り出しつつも、むしろバックのミュージシャンたちの音をよく聴き、支えるような演奏に徹していたトム。インパクト重視の個の表現から、互いにコラボレートし全体として魅せる表現へと移行してきたことを感じさせてくれた。数年間のコロナ禍を経ての時代の変化なのかもしれない。

苗場の地で堪能するまたとない体験

今年も頭からザバッと浴びまくったフジロックならではとしか言いようがない音の数々。今年も、2019年からの流れでアジア近隣諸国から大将こと日高氏が言うところの「誰も知らないバンドで、カッコいい」バンド/アーティストたちが苗場に集結した。グリーンステージの火蓋を切った、初日のTHE HU(モンゴル)、二日目のBLOODYWOOD(インド)のライヴを目撃しただろうか。それぞれ出自の土着音楽とヘヴィメタルの混交ときたら、聴衆は全員ブチ上がるしかなかった。事前の注目アクトの記事では、ルーツ・ロックの系譜から紹介した幾何学模様DAWES。良い意味で肩透かしを食らうほどの音圧がほとばしる熱いロックド直球なステージを繰り広げてくれた。しかもどちらも極上の音響で。初来日でフィールド・オブ・ヘブンにて初ステージを果たしたDAWESの面々は、前夜祭からクラウドに交じって楽しんでいる姿を目にした。その様子を見て思い出したのはジョー・ストラマー。自身がグラストンバリーで衝撃を受けたフェスティバル文化を根付かせるべく、ファンたちとどんどん交流していったフジロックの精神的支柱だ。今年も場外のスワロー苗場ロッジでジョーを讃えるエキシビション【Joe’s Garage Naeba presents “芸術衝突”】が開催されていた。来年もきっとやっているはずなので、ぜひ立ち寄ってみてほしい。そして、残念ながら急な時間変更により観ることができなかったが、Bucket Drummer MASAが2017年のバスカーストップ以来、5年ぶりにデイ・ドリーミングに姿を見せ、フジロック本出演を果たしに帰ってきたのも嬉しいできごとだった。

このかけがえのない場があり続けるために

前夜祭での未来にフジロックというかけがえのない場を残すことを願って、みんなでマスクを着け心の中で「ただいま!」を叫んだ集合写真撮影からスタートしたにもかかわらず、最低限のマナーすら守れていないような人たちが散見されたのは残念でならなかった。ゴミの散乱も目立ったように感じたし、森を彩る代表的なアート作品のひとつ、MADBUNNYチームが手掛けたウサギたちが盗まれたという話まで耳にしている。「アーティストがあおったから」、「お酒で酔っぱらっていたし」、「他の人たちもやっていたから」…様々な言い分があるのかもしれないが「あなた」はどこにいるのだろう?苗場までやってきて、フジロックに参加しているのだ。あなたはここで何を感じ取り、どんな行動を選択していくのか。フジロックがお互いを気遣い、みんなが安心して参加できる楽しく笑顔があふれる場であり続けてほしいと強く感じた。
先日発表された、7/28(木)の前夜祭からのべ4日間で69,000人という来場者数。前夜祭が10,000人だから、実質59,000人となる。コロナ前と比較すると概ね半分程度だろうか。協賛金やコロナに伴う補助金などもあると思うが、コロナ禍に伴う数年間の主催者の損失を考えると心配な数字に感じた。カフェ・ド・パリやパレス・オブ・ワンダー、木道亭にブルーギャラクシーといったエリアが昨年からなくなっていることに少なからず物足りなさを感じ、復活を心待ちにしている人も多いのではないだろうか。特にエントランス前にあった、グラストンバリーの現場で活躍するイギリスのスタッフたちが手掛けるパレス・オブ・ワンダーは、その年の目玉と言えるような濃いアーティストたちが明け方までパフォーマンスを繰り広げ、サーカスにカジノとフェスティバルの醍醐味を味わえるフジロックの真髄と言い切ってしまいたいような場で、しかもチケットがなくとも入場可能だった。これらはフジロックがチケット収入で成立するという前提があってのものと言えるだろう。チケット代、往復の交通費、食費や宿泊代といった費用は決して安くなく、行きたくても行けないという状況にますますなって来ているのかもしれない。
フジロックという場があり続けるために何ができるかを考えていきたい。私は、微力ながらフジロックがいかに価値ある素晴らしいものかを記事を通して分かち合っていくのはもちろんのこと、数年前から東京、大阪、岡山、新潟の各地で定期・不定期で開催されているフジロッカーズ・バーというイベントを拡大させていきたいと考えている。フジロッカーズ・バーは、フジロックが年に1回4日間しかないのはもったいない、それぞれの地元でフジロッカーたちが実際に会って、愛する音楽を肴に飲んでワイワイ楽しめたらいいよねというコンセプトのもとはじまった飲み会だ。未知の新しい音楽やその背景にある文化を発見し合ったり、仲間たちとの再会や新しい出会いの場にもなっている。この場を通して、地元のミュージシャンや行きつけのお店をサポートしたり、新しい特に若い音楽ファンたちにフジロックに参加するきっかけを作ってあげられたとしたら最高だ。この場が日本全国に、世界中に拡がっていくといいなと本気で思っている。平和が脅かされ、経済的にも余裕がなくなりつつある難しい時代。だからこそ人生に芸術や文化、日常を離れ苗場の豊かな自然のもと生きていることを実感するフジロックのような場が必要なのだ。それぞれのいる場所で、それぞれの視点から、来年のフジロックに向けてどう生きていくのかが大切になってくると思えてならない。

今年もフジロックという素晴らしい場を創り、共有した全員に感謝したい。今年も無事にフジロックが開催され、完了したのは皆さんのお陰だ。来年のフジロックに向けての新しい歩みはもうはじまっている。また来年7月に我々のエデンの園、苗場の地にみんなで帰る日を心待ちにしている。

▼フジロック’22 総括
Vol.1 ストレートに楽しかったといえる日がくることを願って
Vol.2 時代は変わっても変わらぬアティテュード
Vol.3 このかけがえのない場があり続けるために

Text by Takafumi Miura
Photo by みやちとーる