フジロック’19総括 Part.1 | フジロックで響き続ける「オルタナティヴロック」

未来に向かって歩み続ける軌跡

今年のフジロックも無事完了した。7/25(木)の前夜祭から3日目の7/28(日)までの4日間で、延べ13万人にのぼり、フジロック史上一二を争う多くの来場者に恵まれた年となった。報道もされ、今年一番の話題となったのは、2日目、7/27(土)の夜から翌朝にかけて苗場に終始降り注いだ豪雨だろう。昨年の、台風の影響による雨も凄かったが、今年はそれを上回るほどのどしゃ降りだった。実際にテントが水没してしまったり、スマホが壊れてしまった(防水仕様にもかかわらず)といった被害にあった仲間たちがいる。過去最高の雨量を誇ったであろう今年のフジロック。だが、「それがどうした?」という感じだ。今年の豪雨を経て、現場にいた全員が更にタフになった。対応に奔走する主催者、悪天候のなか集まってくれたことに感謝し渾身のステージを届けるアーティスト、そして自然の猛威に抗うことなく今、この瞬間を楽しみ尽くすフジロッカーたち。帰りのバスを待っている時には、来年に向けて、キャンプギアやレインウェアなどの雨対策をどうするかについて笑顔で語り合っていたりしていた。完了と同時に来年のフジロックに向けて全員が動きはじめている。今年ほど、現場にいる人たちがひとつになってフジロックを作っていること、そしてフジロックの足が止まることはないと確信した年はない。

豪雨を筆頭に語りたいことは山ほどあるが、三度の飯より音楽が好きな私は「音楽」や「ライヴ」に焦点を当てて今年のフジロックを振り返りたい。今年のフジロックがはじまる1週間ほど前の休日に、スマッシュの代表にしてフジロックのオーガナイザーである日高正博氏の著書『やるか Fuji Rock 1997-2003』を読み返していた。その中で、周知のことではあるものの、妙に目を引いた言葉があった。「1回目のアーティスト・ブッキングの基準は、いまの言葉でいうならオルタナティブロック」という言葉だ。今年で23回目を迎えたフジロック。あらためて原点回帰ではないが「今のフジロックはオルタナティヴロックしているのか?」、この視点・テーマからフジロックの現場を楽しんだ。

SIA | Photo by Ryota Mori

さて、今年のフジロックを振り返る前に、そもそもの「オルタナティヴロックとは何ぞや?」ということに触れておきたい。ウィキペディアにどんぴしゃな「オルタナティヴ・ロック」を表したページがあったので、一部を抜粋する。「オルタナティヴ・ロック(Alternative Rock)は、ロックの一ジャンルである。日本ではオルタナティヴ、オルタナと略称されることが多い。オルタナティヴ(Alternative)とは、「もうひとつの選択、代わりとなる、代替手段」という意味の英語の形容詞。大手レコード会社主導の商業主義的な産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画し、時代の流れに捕われない普遍的な価値を求める精神や、アンダーグラウンドの精神を持つ音楽シーンのことである。ジャンル全体の傾向としては、1970年代後半の英米の産業ロックへの反発からくる、1960年代ロックへの回帰(音楽的のみならず、思想的にも)を志向しており、インディー・ロックの流れを汲む。」

「オルタナティヴ(Alternative)」という言葉が鍵。主流と一線を画す流れ、反体制、反骨精神、アンダーグラウンド、DIY(Do It Yourself)といった精神性・姿勢(アティテュード)に関わることのようだ。その視点から見るとフジロックは第1回目から明らかにオルタナティヴだ。「フジロック」と、名に「ロック」を冠しておきながら、Black Bottom Brass Bandといったニューオーリンズスタイルのブラス集団に、電気グルーヴやAphex Twinのようなクラブ向けのアクト、Lee “scratch” Perryというレゲエ界の巨匠といった「ロック」の枠組みを超えたジャンルレスな顔ぶれ。そして、1発目にSouthern Culture On The Skidsという当時日本では無名だが「カッコいい」バンドを配置してオーディエンスを驚かせるあり方もオルタナティヴ以外の何ものでもないだろう。あの天神山に鳴り響いたギターフレーズ、演奏の中断を余儀なくされるほどのオーディエンスの騒ぎっぷり。映像で何度も見ているが、ついつい興奮してしまう瞬間だ。この1発目の興奮は、今年のグリーンステージのオープニングを務めた、スコットランドからやってきたご機嫌なバグパイプロックバンド、Red Hot Chili Pipers(レッド・ホット・チリ・パイパーズ)による歓喜のステージに今のフジロックにもしっかりと息づいていることが見て取れる。

昨年に引き続き、今年も出演したキューバからやってきた新進気鋭の集団、Interactivo(インタラクティーヴォ)のおかげで、昨年来、私はキューバ音楽にゾッコンになってしまった(昨年の振り返り座談会記事にこれでもかと思いの丈を書いた)。「ロック」に対するオルタナティヴな出演陣によるライヴに触れることで、毎年新しい音楽との出会いや発見がある。今年は、例年以上に日本近隣のアジア諸国からやってくるアーティストが多かった。7年ぶりに帰還し、内モンゴルの民族音楽の歌唱法、ホーミーで強靭に歌い上げ、伝統楽器とともに奏でられるごった煮ロックで広大な大地を表現したHanggai(ハンガイ)。レゲエやダブワイズといったジャマイカンビートの上を、朝鮮の伝統的民俗芸能であるパンソリのシンガー、キム・ユルヒの力強くも切ない声で場を圧倒したNST & The Soul Sauce Meets Kim Yulhee(ノ・ソンテク&ザ・ソウル・ソース・ミーツ・キム・ユルヒ)。伝統音楽と、バンドが影響を受けた西洋のポピュラー音楽との絶妙な配合でもって届けられる新鮮な音。そして、今回の出演陣の中でも目玉のひとつと言っても過言ではないアメリカはテキサス州出身のKhruangbin(クルアンビン)。タイ音楽や東南アジアのポップスにインスパイアされた、サイケデリックで中毒性のあるグルーヴに身をゆだねていると、今はアジア諸国の音楽を取り入れることが新しく、クールなのだと実感する。フジロックが当初の洋楽、特に欧米の音楽を聴く場所から、日本のアーティストのライヴも楽しむ場所へと変遷し、今は世界で起こっている最先端の音楽シーンを発信する場になってきているようだ。今後も近隣諸国から、日高氏が言うところの「誰も知らないバンドで、カッコいい」アーティストをどんどん苗場に呼んできてほしい。世界中から多種多様な音楽家が集結し、音楽と音楽が出会い、ぶつかり合う。そこから新しい音楽が生まれ、音楽の世界が拡がっていく起点としての場をフジロックが担っていくことになるだろう。

SIA | Photo by Ryota Mori

今年の2日目、あの圧倒的な豪雨の中、ヘッドライナーを務めたSIA(シーア)を取り上げないわけにはいかない。バックでバンドが演奏しボーカルが歌う、派手な視覚効果とビートをDJがレコードをスピンして場を盛り上げる、といったフォーマットとはまったく異なる表現。直立不動で歌を届けるSIA、音に合わせて多種多様な動きで魅せるダンサーたち、曲の持つニュアンスを的確にとらえるかのごとくコロコロと変化していく、彩り豊だがミニマルな映像と照明。ただ、SIAの世界そのものがそこにあった。アーティストが描く世界を表現するうえで、自らが終始スポットライトに当たる必要はないと英断し、その曲に応じた一番の表現は何か、パフォーマンスは何か、ステージ構成は何かを徹底的に深堀りし練り上げた”実”があの日のステージだったように思える。彼女のライヴは、これまでのフジロックになかったオルタナティヴな新しい表現の可能性の楔を打ち込んでくれた。

JANELLE MONAE | Photo by Ryota Mori

今年は至るところでフジロックの「源」を感じた。場外エリアのスワロー苗場ロッジに今年できたジョー・ストラマーの記念館「Joe’s Garage」。ここを立ち上げた新潟のフジロッカーたちのDIY精神やジョーがフジロックに残したフェスティヴァルのDNAが伝わってきて、目頭が熱くなった。ここに立ち寄った後に、前夜祭での終始、反骨精神ムンムンの気合の入った亜無亜危異のライヴ。”White Riot”が飛び出した瞬間の自分の中での沸点の上がり様は今でも忘れられない。2002年のフジロックでジョー・ストラマーと初めて謁見したというBanda Bassotti(バンダ・バソッティ)の登場も今年のハイライトのひとつだ。音楽は政治の手段(武器)というのが彼らのスタンス。「SAVE DONBASS CHILDREN」(「ドンバス地方*の子供たちを救え」*今も内戦が続くウクライナ東部の地域)と大きく描かれたスクリーンや、「¡No pasarán!」(スペイン語で「奴らを通すな!」)とステージ上のそこかしこに政治的主張が散りばめられていた。主張に終わることなく、パレスチナやニカラグアで現地の人の為に学校や家を建てるなど、実際に現実を変えるべく行動をとっていることを特筆しておきたい。そして、今年はフジロックが「沖縄」に主張の場を提供した年でもあった。ジプシー・アヴァロンエリアのNGOヴィレッジに「うちなーヴィレッジ」が出現。沖縄の玉城デニー知事が出演し、基地問題にも触れ、ボブ・ディランの”All Along the Watchtower”を披露したのも印象的な出来事だ。今年のフジロック紹介記事で、今年出演する女性アーティストがいかにパワフルで熱いかを書いたとおりだが、Janelle Monae(ジャネール・モネイ)は間違いなくその筆頭だ。ライヴパフォーマンスの完成度の高さもさることながら、世界中の女性やセクシャルマイノリティの権利のために戦い続けなければと主張し、自国の大統領を糾弾した凛としたカッコ良さは脳裏に焼き付いている。フジロックが提供する「表現の自由」と「DIY精神」は確かにここにあった。彼らの主張や表現を見て、あなたがどう思うか、どう選択するかは自由だ。ただ、我々はあまりに知らないことが多い。これからもフジロックがオープンで、世界中の様々な自由な表現を堪能できる場であってほしいと切に願っている。私は、バンダ・バソッティが”Fuji Rock”の中で「ここにいるのは戦争なんて無縁の仲間たち」だと歌ってくれたことを誇りに思う。

Photo by Yusuke Baba

さて、「自由」という話題が出たので椅子やゴミ、マナーの問題を少し取り上げておきたい。すべては私やあなたの行動からだ。イライラしてSNSやブログでつぶやいても何もはじまらない。落ちているゴミを見て嫌な気分になるくらいなら、自分で拾って捨てたらいい。レッドマーキーの後方で椅子を広げて座っている人がいたら、「疲れていると思いますが、バンドを観たい人が入場できるようにすみませんが椅子をたたんでいただけませんか?」と勇気をもって声をかけるところからだと思う。運営に頼って、人を強制的に排除するような流れになるとフジロックのオルタナティヴ(ロック)精神とは真逆の流れになってしまう(「Osaho」の取り組みは大賛成です)。「フジロックの場にいるということはどういうことか?」という責任や自分のあり方をそれぞれが持たないとなかなかこの流れは変わらないだろう。それぞれが自分のことから少し離れて、他人や苗場の自然に想いを馳せるならどういう行動を取るのか、当たり前のことを当たり前にやるだけというところに行き着くのではないだろうか。平和への道もそういうことの積み重ねだと感じている。

色々と述べてきたが、フジロックは今もバリバリにオルタナティヴロックしていたという結論だ。そして、今年も笑顔にあふれ、今、この瞬間に生きていることを感じさせてくれる最高のフジロックだった。まだ参加されたことがない方はまずは何よりも現場、1日でも良いからフジロックを体感しに来てほしい。フジロックが自分の中にある人生になるとすべてが違って動いてくる。まずは来年の8月21日から23日までの3日間をお手元のスケジュールに入れてみてほしい。仕事を休めるかなとか色々と出てくると思うが、それは決まっていない未来だ。「フジロックに行く!」と決めてスケジュールに入れてしまうと、「そのために自分は何ができるか?」とフジロックに向かって生きていくことが可能になってくる。不思議なもので、これをはじめて以降、実際に毎年前夜祭を含め全日程参加できているので、ぜひトライしてみてほしい。

最後に、フジロックの「源」である日高さんに感謝したい。そして、その日高さんの大きな第一歩を支えた人たちに最大の拍手を送りたい。一歩を踏み出すのが最もリスクがあり、しかも1年目に中止を余儀なくされ、場所も使えなくなるということが起こって、それでもなお継続するのは大変なことだ。日本中にフェスティバル文化が根付き、夏が笑顔で包まれているのは間違いなくフジロックが果たした貢献だ。今年もフジロックという素晴らしい場を創り、共有した全員に感謝しつつ筆をおきたい。

FUJI ROCK FESTIVAL 2019 レポート一覧

▼フジロック’19 総括

Part.1 フジロックで響き続ける「オルタナティヴロック」
Part.2 今年のフジロックに見たロックの「現在」

▼ライブレポート

Text by Takafumi Miura
Photo by Ryota Mori, Official Photo